常陸国の出雲、奇稲田姫命を主祭神として夫・父母も祀る名神大社
[住所]茨城県笠間市稲田768-1
[電話]0296-74-2170
稲田神社(いなだじんじゃ、稻田神社)は、茨城県笠間市稲田にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 常陸国 新治郡「稲田神社」に比定される式内社(名神大社)。近代社格では県社。
主祭神は奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)。明治6年(1873年)に、布都主神、菅原道真公、大山咋命、大日孁貴命、未詳1座の五柱を合祀した。
創建は不詳。江戸時代の『稲田姫宮神社縁起』によると、当地の邑長武持の家童が稲田好井の水を汲もうとすると、泉の傍らに女性が現れた。
家童の知らせで武持が尋ねると「自分は奇稲田姫で当地の地主神である」と答え、姫の父母の宮・夫婦の宮を建て、好井の水で稲を作り祀るよう神託を下したという。
当社の北西300メートルの稲田山中腹には本宮(奥の院)が鎮座するが、本宮の祠左手には巨石が突き出ており、この磐座が稲田姫の降臨地と伝わっている。
また、当社は新治国造が奉斎した神社と考えられている。
新治国造は律令制以前に新治郡地域を治めたとされる国造で、『先代旧事本紀』「国造本紀」新治国造条には美都呂岐命の子の比奈羅布命を初代国造とする旨の記載がある。
美都呂岐命(弥都侶伎命)は天穂日命の八世孫で出雲国造と同祖。当社周辺の鴨大神御子神主玉神社・大国玉神社などの式内社がいずれも出雲系の神々を祀ることから、出雲との関係が指摘されている。
国史には当社に関する記載はない。鎌倉時代初期、領主の笠間時朝は藤原光俊・泰綱ら8人を招いて当社で奉納歌会を催しており、『新和歌集』(宇都宮新和歌集)にその歌の記載がある。
室町時代末期に兵火により社殿を焼失、慶長7年(1602年)に伊奈忠次が当地を検地した際に本殿などが再建された。寛文8年(1668年)には藩主の井上正利が除地4石を与えた。
元禄7年(1694年)には徳川光圀が当社に参詣し、古社の衰微する様子を嘆き、縁起などを奉納した。社宝の四神旗は、光圀によって元禄11年(1698年)に奉納された。県指定有形文化財。
社殿は弘化2年(1845年)に焼失し、嘉永元年(1848年)再建されている。明治に入り、県社に列した。
境内社に先の「父母の宮」の父宮に当たる手摩乳神社(てなづちじんじゃ、御祭神:手摩乳命)が、母宮に当たる脚摩乳神社(あしなづちじんじゃ、御祭神:脚摩乳命)が、それぞれ拝殿向かって左右手前に鎮座する。
また、主祭神の夫である素盞鳴尊を祀る「夫婦の宮」の夫宮に当たる八雲神社が本殿右隣に鎮座する。その他、境内には数社が鎮座する。
11月17日が例大祭。7月30日には八雲神社の祭典である祇園祭が行われる。いわゆる牛頭天王色のある祭典ではなく、素盞鳴尊と奇稲田姫命が本宮の地で再会したという故事にちなむもので、神輿が本宮で一夜を過ごす。
なお、同名の神社が、島根県仁多郡奥出雲町にある。稲田姫の産湯として伝えられている「産湯の池」があり、宮司を出雲大社宮司が兼任するなど、ゆかりが深い。
【ご利益】
縁結び、安産、身体健全、学業成就、眼病治癒、交通安全、商売繁昌、家内安全

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[電話]0296-74-2170
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『延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 常陸国 新治郡「稲田神社」に比定される式内社(名神大社)。近代社格では県社。
主祭神は奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)。明治6年(1873年)に、布都主神、菅原道真公、大山咋命、大日孁貴命、未詳1座の五柱を合祀した。
創建は不詳。江戸時代の『稲田姫宮神社縁起』によると、当地の邑長武持の家童が稲田好井の水を汲もうとすると、泉の傍らに女性が現れた。
家童の知らせで武持が尋ねると「自分は奇稲田姫で当地の地主神である」と答え、姫の父母の宮・夫婦の宮を建て、好井の水で稲を作り祀るよう神託を下したという。
当社の北西300メートルの稲田山中腹には本宮(奥の院)が鎮座するが、本宮の祠左手には巨石が突き出ており、この磐座が稲田姫の降臨地と伝わっている。
また、当社は新治国造が奉斎した神社と考えられている。
新治国造は律令制以前に新治郡地域を治めたとされる国造で、『先代旧事本紀』「国造本紀」新治国造条には美都呂岐命の子の比奈羅布命を初代国造とする旨の記載がある。
美都呂岐命(弥都侶伎命)は天穂日命の八世孫で出雲国造と同祖。当社周辺の鴨大神御子神主玉神社・大国玉神社などの式内社がいずれも出雲系の神々を祀ることから、出雲との関係が指摘されている。
国史には当社に関する記載はない。鎌倉時代初期、領主の笠間時朝は藤原光俊・泰綱ら8人を招いて当社で奉納歌会を催しており、『新和歌集』(宇都宮新和歌集)にその歌の記載がある。
室町時代末期に兵火により社殿を焼失、慶長7年(1602年)に伊奈忠次が当地を検地した際に本殿などが再建された。寛文8年(1668年)には藩主の井上正利が除地4石を与えた。
元禄7年(1694年)には徳川光圀が当社に参詣し、古社の衰微する様子を嘆き、縁起などを奉納した。社宝の四神旗は、光圀によって元禄11年(1698年)に奉納された。県指定有形文化財。
社殿は弘化2年(1845年)に焼失し、嘉永元年(1848年)再建されている。明治に入り、県社に列した。
境内社に先の「父母の宮」の父宮に当たる手摩乳神社(てなづちじんじゃ、御祭神:手摩乳命)が、母宮に当たる脚摩乳神社(あしなづちじんじゃ、御祭神:脚摩乳命)が、それぞれ拝殿向かって左右手前に鎮座する。
また、主祭神の夫である素盞鳴尊を祀る「夫婦の宮」の夫宮に当たる八雲神社が本殿右隣に鎮座する。その他、境内には数社が鎮座する。
11月17日が例大祭。7月30日には八雲神社の祭典である祇園祭が行われる。いわゆる牛頭天王色のある祭典ではなく、素盞鳴尊と奇稲田姫命が本宮の地で再会したという故事にちなむもので、神輿が本宮で一夜を過ごす。
なお、同名の神社が、島根県仁多郡奥出雲町にある。稲田姫の産湯として伝えられている「産湯の池」があり、宮司を出雲大社宮司が兼任するなど、ゆかりが深い。
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コメント
コメント一覧 (1)
第一期 今の大郷戸にあった大神駅近くに奥之宮があるるこれは現在奥宮としている好井の泉近くの水神と呼応し山神にあたり、春秋に行き来する社を持たぬ神。
第二期 伝承にある稲田姫を祀った好井の泉の近くの「姫の宮」(現在奥宮と言って稲)の紺理由、これを本宮と称する
第三期 豪族の誇りと中央の地、方統治の面から現在の宮山に稲田神社を建立し、明神大社に列した。
その後新治の政治の中心が西側に移り火災も重なり、江戸時代の娯楽性の高い神社として転換できななかった、結城街道がバイパス化した、西念寺の隆盛などが重なり今の静かな信仰の神社が形成された。・・・想像