美濃・岐阜開拓の父・母・子を主祭神とする三神社、織田信長ともゆかり
岐阜市三社(ぎふしさんしゃ)は、岐阜県岐阜市に鎮座する伊奈波神社、金神社、橿森神社の三神社の総称。本サイトの造語。この三つの神社は、岐阜開拓の神である父・母・子を主祭神とし、現在も三社共同で例祭を執り行い、一般には岐阜まつりとして親しまれている、深い関係にある。
伊奈波神社(父)の主祭神は、第11代垂仁天皇の皇子で、第12代景行天皇の同母兄である五十瓊敷入彦命。記紀には石上神宮との関係が記述されるなど、当時の(天皇ではない)皇族としては記載量が多く、非常に有力な皇族だったことがうかがえる。
伊奈波神社の社伝によると、五十瓊敷入彦命は朝廷の詔を承けて奥州を平定したが、同行した陸奥守豊益が五十瓊敷入彦命の成功を妬んで、命に謀反の心ありと讒奏した。
そのため、朝敵として攻められて現在の岐阜市で討たれたという。夫の死を知った妃の渟熨斗姫命(ぬのしひめのみこと:景行天皇の皇女)は、都を離れて岐阜に赴き、御跡を慕い、朝夕ひたすら命の御霊を慰めつつ生涯を終えたという。
渟熨斗姫命が金神社(母)の主祭神となる。両社主祭神の子が市隼雄命で、橿森神社(子)の主祭神という関係になる。市隼雄命は記録や伝承があまり多くないが、その墓が各務原市蘇原の加佐美神社の東「市林山」にあり、現在も祭祀が続けられている。
岐阜城から見ていずれも西南に鎮座する三社は、いずれも御朱印を頂ける。織田信長とのゆかりも深く、岐阜まつりはもちろん、伊奈波神社はそのものが、橿森神社にある「御薗の榎」が、それぞれ日本遺産「「信長公のおもてなし」が息づく戦国城下町・岐阜」」(平成27年度)の構成文化財となっている。

[説明]斎藤道三以来の稲葉山城鎮守
[社格]式内社 - 美濃国三宮 - 国小 - 別表 - 日本遺産 - 初詣
[住所]岐阜市伊奈波通り1-1
[電話]058-262-5151

[説明]金運のオリジナル御守、骨董市など
[社格]国史見在社 - 県社
[住所]岐阜市金町5-3
[電話]058-262-1316

[説明]「御薗の榎」は信長の楽市楽座の市神
[社格]-
[住所]岐阜市若宮町1-8
[電話]058-246-0125
【関連記事】
・神社いろいろ - 社格や形式などで神社を分類したまとめ - 神社めぐり全国編
・岐阜県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、岐阜県に鎮座している神社の一覧
伊奈波神社(父)の主祭神は、第11代垂仁天皇の皇子で、第12代景行天皇の同母兄である五十瓊敷入彦命。記紀には石上神宮との関係が記述されるなど、当時の(天皇ではない)皇族としては記載量が多く、非常に有力な皇族だったことがうかがえる。
伊奈波神社の社伝によると、五十瓊敷入彦命は朝廷の詔を承けて奥州を平定したが、同行した陸奥守豊益が五十瓊敷入彦命の成功を妬んで、命に謀反の心ありと讒奏した。
そのため、朝敵として攻められて現在の岐阜市で討たれたという。夫の死を知った妃の渟熨斗姫命(ぬのしひめのみこと:景行天皇の皇女)は、都を離れて岐阜に赴き、御跡を慕い、朝夕ひたすら命の御霊を慰めつつ生涯を終えたという。
渟熨斗姫命が金神社(母)の主祭神となる。両社主祭神の子が市隼雄命で、橿森神社(子)の主祭神という関係になる。市隼雄命は記録や伝承があまり多くないが、その墓が各務原市蘇原の加佐美神社の東「市林山」にあり、現在も祭祀が続けられている。
岐阜城から見ていずれも西南に鎮座する三社は、いずれも御朱印を頂ける。織田信長とのゆかりも深く、岐阜まつりはもちろん、伊奈波神社はそのものが、橿森神社にある「御薗の榎」が、それぞれ日本遺産「「信長公のおもてなし」が息づく戦国城下町・岐阜」」(平成27年度)の構成文化財となっている。
父 伊奈波神社 (推定)

[説明]斎藤道三以来の稲葉山城鎮守
[社格]式内社 - 美濃国三宮 - 国小 - 別表 - 日本遺産 - 初詣
[住所]岐阜市伊奈波通り1-1
[電話]058-262-5151
母 金神社(岐阜市)

[説明]金運のオリジナル御守、骨董市など
[社格]国史見在社 - 県社
[住所]岐阜市金町5-3
[電話]058-262-1316
子 橿森神社

[説明]「御薗の榎」は信長の楽市楽座の市神
[社格]-
[住所]岐阜市若宮町1-8
[電話]058-246-0125
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