2年に1度、6日間かけて三宅島を御輿が巡るケンカ祭りで知られる式内古社
[住所]東京都三宅村阿古字富賀山
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富賀神社(とがじんじゃ)は、東京都三宅村、島の南西端に立つ富賀山に鎮座する神社。三宅島の総鎮守である。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「阿米都和気命神社/阿米都気命神社(伊豆国・賀茂郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。

御祭神は、三島大神事代主命)の后神で伊古奈比咩命神社の御祭神である伊古奈比咩命(いこなひめのみこと)、その2柱の御子神である阿米都和気命(あめつわけのみこと)。

創建年代は不詳。社伝では、事代主命(三嶋神)は父の大国主命とともに出雲国から紀伊国に渡り、さらに三宅島へと渡った。そして漁業・農業を伝え、島の基盤を築いたという。

また、伊賀牟比売命が大蛇に追われてこの島に至った際には、事代主命によってその大蛇が退治されたという。

静岡県三島市の三嶋大社御祭神は三宅島で創祀されたという伝承が古くよりあり、当社を三嶋神発祥地とする説もある。

『三宅記』には三嶋神が三宅島(当社)から白浜(伊古奈比咩命神社)へ、さらに田方(広瀬神社)に移り、最終的に三島(三嶋大社)に落ち着いた旨記されている。

国史では、『日本文徳天皇実録』において嘉祥3年(850年)に「阿米都和気命」が従五位下の神階に叙され、仁寿2年(852年)に同神は従五位上に昇った。

『延喜式神名帳』において、三宅島には12社記されているが、当社はその中で中核的な存在である。

中世の変遷は明らかではないが、本殿内陣の鎌倉時代・室町時代の和鏡や、鎌倉時代末期と見られる懸仏が伝わっている。

近世以降、社殿の修復と焼失、再興を繰り返し、嘉永3年(1850年)には摂社4社を再興している。

四摂社は通称「四社の宮」。若宮・剣宮・見目宮・壬生宮。

このうち、剣宮の御祭神は、先の大蛇退治の際、最初に退治した剣の神とされ、その時使用したのが当社に伝わる「蛇切りの太刀」であるという。

戦前は「御太刀さま」として、毎月2度、島巡りが行われていた。

壬生宮は、『三宅記』に三嶋神の初代奉斎者として登場する壬生御館(みぶのみたち)を祀るが、その後裔が当社の神職世襲家である壬生氏で、江戸期は島政において重要な役割を果たしたと伝わる。

明治7年(1874年)5月、郷社に列格。度重なる台風や噴火で甚大な被害を受け、更に老朽化が進んでいたが、平成19年(2007年)に社殿を修復している。

現在の例祭は8月4日で、2年に1度、4日から9日にかけて巡り神輿が行われる。受け渡しでケンカが起こることから、ケンカ祭りとも呼ばれる。

「富賀神社の巡り神輿」として、都指定無形民俗文化財である。

【ご利益】
産業振興、地域安寧、夫婦和合、家庭円満、子孫繁栄
富賀神社 - 2年に1度、6日間かけて三宅島を御輿が巡るケンカ祭りで知られる式内古社
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