三嶋大社の后神を祀る、秀吉の小田原攻めで焼失後に復興
[住所]静岡県伊豆の国市田京1
[電話]0558-76-0886

広瀬神社(ひろせじんじゃ)は、静岡県伊豆の国市にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

『延喜式神名帳』にある「廣瀬神社(伊豆国・田方郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では県社

御祭神は三嶋溝杙姫命三島溝橛耳の娘と『古事記』にもある。初代神武天皇の皇后イスケヨリの母に当たる。ここでは三嶋大社の后神と考えられる。

創祀は不詳。伊豆国の主要なる河川である狩野川の広い瀬に臨んで、その河の神を祀る祭祀が原初ともされる。

三嶋大社の『三宅記』に基づく、三宅島(富賀神社)から白浜(伊古奈比咩命神社)へ、最終的には三島(三嶋大社)へと遷移する白浜と三島の間の遷座地ともされる。

創建は、天平年間(729年-749年)、特に天平5年(733年)とも。伊予国、おそらくは大山祇神社からの御分霊勧請とも伝わる。

『伊豆国神階帳』康平年間(1058年-1065年)には「従一位広瀬明神」とある。

古来より田中郷5ヶ村の総鎮守で、社伝によれば往古社殿は金銀をちりばめ、壮大にして禰宜36人、供僧6坊を置き、神領8町8反大50歩永80貫文を充てられ、隆盛を極めたという。

天正18年(1590年)3月、豊臣秀吉による小田原攻めの際、兵火により炎上。その際、源頼朝、北条時政などの社領寄進状も焼失したという。

それが記された慶長元年(1596年)及び寛永10年(1633年)の棟札が残る。慶長元年の上梁文に「福沢大明神」と見える。寛永以降は「深沢明神」とも。

寛文年間(1661年-1673年)、享保年間(1716年-1736年)、明和年間(1764年-1772年)に社殿の修営が行われた。

明治6年(1873年)8月に郷社に列し、深沢神社と称したが、明治28年(1895年)5月18日に現社号に復称し、明治32年(1899年)6月、県社に列した。現在も田方一の大社とされている。

以前までは、見目社、大楠社、若宮社、厳島社など多くの境内社があったが、現在はすべて本殿で祀られ、現在の境内社は祖霊社のみ。

例祭は11月3日。旧大仁町指定無形文化財の式三番が奉納される。社叢も「広瀬神社の杜(森)」として町の天然記念物の指定を受けている。

特殊神事として、7月15日に御田植祭が行われる。御神木「大楠」に早苗を投げ上げ、枝に留まる苗の多い年は五穀豊穣とされる。

三島市の楽寿園内に同名神社がある。式内社「広瀬神社」の論社ともされるが、当社の方が有力であり、三島市の広瀬神社は当社の遥拝所だった可能性などが指摘されている。

また、当社は式内社「軽野神社/輕野神社」の論社ともされる。他の論社に、いずれも伊豆市で、松ヶ瀬の式内同名神社、加殿の子神社がある。

なお、式内社として、広瀬神社は大和国武蔵国にもある。

【ご利益】
水害除け、五穀豊穣・商売繁盛、安産・子育て
広瀬神社(伊豆の国市) - 三嶋大社の后神を祀る、秀吉の小田原攻めで焼失後に復興
【関連記事】
静岡県の旧県社 | 府県社とは? - 旧県社(縣社)・旧府社、その都道府県の中で有力な神社
静岡県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、静岡県に鎮座している神社の一覧
広瀬神社(伊豆の国市)の御朱印