謙信らが崇敬した越後八幡、越後国総社かつ一国一社の八幡宮
[住所]新潟県上越市西本町3-5-15
[電話]025-526-5111
府中八幡宮(ふちゅうはちまんぐう)は、新潟県上越市西本町にある神社。日本海ひすいラインの直江津駅の北西約650メートル。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「阿比多神社(越後国・頸城郡)」に比定される式内社(小社)の論社。越後国総社である。
御祭神は誉多別尊(応神天皇)。相殿に沼河姫命・建御名方命を祀る。大国主命が沼河姫命に通った阿比多館と呼ばれ、高志総社とされた。
御祭神の建御名方命は諏訪社ではなく、生誕地など、当地とのゆかりにより奉斎された可能性もある。
もとの越後国府の正北の丘に鎮座しており、府中六所とも呼ばれた。当社西方2キロほどの所には、越後国一宮・居多神社もある。居多神社との御祭神の共通性もみられる。
鎌倉時代に鶴岡八幡宮を勧請し、沼河姫命と建御名方命の二神を合わせ祀って、府中石清水八幡宮と称し、一国一社の八幡宮(国府八幡宮)となった。
なお、養老4年(720)年に宇佐八幡宮を、貞観12年(793年)に石清水八幡宮を、それぞれ勧請し、越後八幡と称したとも。その時々の有力八幡から改めての御分霊を迎えたということか。
上杉氏の敬仰が特に厚く、上杉謙信は直筆の神額並びに下馬札制札などを奉納している。
江戸時代になっても、慶長16年(1611年)9月に社領100石と定められ、将軍墨附や閣老連名の添書を交附して神馬一頭の寄進がされている。
歴代の高田城主からも崇敬され、社殿の造営や土地の寄進などがあった。明治維新(1868年)の際、北陸奥羽の平定において、勅使が派遣されて幤帛が供進されている。
社殿はいずれも江戸期のもので、本殿と幣殿は慶応2年(1866年)改築。拝殿は寛永9年(1632年)の再建で、越後高田藩の藩主松平光長による寄進。寛永11年(1634年)の再興とも伝わる。
境内社に神明宮(天照皇大神・豊受姫命)、諏訪社(建御名方命)がある。石造の鳥居が三基あり、そのうちの一基は正保2年(1646年)8月に小栗茂吉が寄進したもの。
石造の灯篭も三対あり、天明7年(1787年)・同8年(1788年)・文政2年(1819年)の建立。石造の狛犬が二対あり、そのうち一対は鎌倉から室町にかけての建立とされる。
天文24年(1555年)の上杉景虎(謙信)によるものと、天正8年(1580年)の上杉景勝によるものの社領墨附が残されている。
朱印状は徳川4代将軍徳川家綱から第14代家茂に至る9代のものが現存している。なお、式内社「阿比多神社」の論社は他に、市内長浜の阿比多神社、十日町市犬伏の松苧神社がある。
【ご利益】
厄祓い、子宝・安産・子育て、武運長久
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府中八幡宮(ふちゅうはちまんぐう)は、新潟県上越市西本町にある神社。日本海ひすいラインの直江津駅の北西約650メートル。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「阿比多神社(越後国・頸城郡)」に比定される式内社(小社)の論社。越後国総社である。
御祭神は誉多別尊(応神天皇)。相殿に沼河姫命・建御名方命を祀る。大国主命が沼河姫命に通った阿比多館と呼ばれ、高志総社とされた。
御祭神の建御名方命は諏訪社ではなく、生誕地など、当地とのゆかりにより奉斎された可能性もある。
もとの越後国府の正北の丘に鎮座しており、府中六所とも呼ばれた。当社西方2キロほどの所には、越後国一宮・居多神社もある。居多神社との御祭神の共通性もみられる。
鎌倉時代に鶴岡八幡宮を勧請し、沼河姫命と建御名方命の二神を合わせ祀って、府中石清水八幡宮と称し、一国一社の八幡宮(国府八幡宮)となった。
なお、養老4年(720)年に宇佐八幡宮を、貞観12年(793年)に石清水八幡宮を、それぞれ勧請し、越後八幡と称したとも。その時々の有力八幡から改めての御分霊を迎えたということか。
上杉氏の敬仰が特に厚く、上杉謙信は直筆の神額並びに下馬札制札などを奉納している。
江戸時代になっても、慶長16年(1611年)9月に社領100石と定められ、将軍墨附や閣老連名の添書を交附して神馬一頭の寄進がされている。
歴代の高田城主からも崇敬され、社殿の造営や土地の寄進などがあった。明治維新(1868年)の際、北陸奥羽の平定において、勅使が派遣されて幤帛が供進されている。
社殿はいずれも江戸期のもので、本殿と幣殿は慶応2年(1866年)改築。拝殿は寛永9年(1632年)の再建で、越後高田藩の藩主松平光長による寄進。寛永11年(1634年)の再興とも伝わる。
境内社に神明宮(天照皇大神・豊受姫命)、諏訪社(建御名方命)がある。石造の鳥居が三基あり、そのうちの一基は正保2年(1646年)8月に小栗茂吉が寄進したもの。
石造の灯篭も三対あり、天明7年(1787年)・同8年(1788年)・文政2年(1819年)の建立。石造の狛犬が二対あり、そのうち一対は鎌倉から室町にかけての建立とされる。
天文24年(1555年)の上杉景虎(謙信)によるものと、天正8年(1580年)の上杉景勝によるものの社領墨附が残されている。
朱印状は徳川4代将軍徳川家綱から第14代家茂に至る9代のものが現存している。なお、式内社「阿比多神社」の論社は他に、市内長浜の阿比多神社、十日町市犬伏の松苧神社がある。
【ご利益】
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