陸奥国総社、伊沢氏や伊達氏から崇敬を受けた、安産守護・大難除けの神
[住所]宮城県多賀城市市川奏社1番地
[電話]022-368-0841
陸奥総社宮(むつそうしゃのみや/むつそうじゃぐう)は、宮城県にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式神名帳』にある「多賀神社(陸奥国・宮城郡)」に比定される式内社(小社)と、陸奥国総社の論社で、近代社格では村社。
主祭神は、八塩道老翁神・八塩道老女神。また、陸奥国内31郡の式内社100社の神霊を合わせ祀る。
陸奥国の総社について当時の記録はない。陸奥国府(多賀城)の近く、「奏社宮」と呼ばれていた当社を総社に比定する説が江戸時代から有力視されている。
なお、塩竃市の鹽竈神社を陸奥国総社とする説がある。
鎌倉時代には、陸奥留守職に任じられて「留守」姓を名乗るようになった伊沢氏により崇敬を受け、祭祀料として3000刈の社地が寄進されたという。
江戸時代になると、仙台藩初代藩主の伊達政宗による領内寺社整備が行われ、法蓮寺(鹽竈神社別当)末寺の市川山神奏院が別当として置かれ社務が行われた。
『宮城県神社名鑑』によれば、奏社宮には歴代藩主の尊崇が篤く、代参などがあったという。
明治維新後、明治4年(1871年)10月に村社に列した。明治41年(1908年)に貴船神社など7社が合祀されたほか、大正12年(1923年)8月には神饌幣帛料供進神社に指定された。
現在も安産守護・海上守護・歳徳・武徳・大難除けの神として崇敬されている。
境内には多賀城市の保存樹木が2本ある。一つは白木蓮(ハクモクレン)で、推定樹齢約220年(江戸時代)、樹高16.8メートル、周囲2.2メートル。
もう一つは老杉(スギ)で、推定樹齢約600年(室町時代)、樹高25.6メートル、周囲4.88メートル。
老杉は当社の御神木であり、正月に注連縄をかける。
例祭は4月第3日曜日で、神輿渡御がある。1月14日にはどんと祭が行われる。
なお、式内社「多賀神社」の論社は他に、市内高崎と市川に式内社名と同じ神社があり、浮島に浮島神社がある。
【ご利益】
厄祓い、縁結び、交通安全など(公式HP)
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[電話]022-368-0841
陸奥総社宮(むつそうしゃのみや/むつそうじゃぐう)は、宮城県にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式神名帳』にある「多賀神社(陸奥国・宮城郡)」に比定される式内社(小社)と、陸奥国総社の論社で、近代社格では村社。
主祭神は、八塩道老翁神・八塩道老女神。また、陸奥国内31郡の式内社100社の神霊を合わせ祀る。
陸奥国の総社について当時の記録はない。陸奥国府(多賀城)の近く、「奏社宮」と呼ばれていた当社を総社に比定する説が江戸時代から有力視されている。
なお、塩竃市の鹽竈神社を陸奥国総社とする説がある。
鎌倉時代には、陸奥留守職に任じられて「留守」姓を名乗るようになった伊沢氏により崇敬を受け、祭祀料として3000刈の社地が寄進されたという。
江戸時代になると、仙台藩初代藩主の伊達政宗による領内寺社整備が行われ、法蓮寺(鹽竈神社別当)末寺の市川山神奏院が別当として置かれ社務が行われた。
『宮城県神社名鑑』によれば、奏社宮には歴代藩主の尊崇が篤く、代参などがあったという。
明治維新後、明治4年(1871年)10月に村社に列した。明治41年(1908年)に貴船神社など7社が合祀されたほか、大正12年(1923年)8月には神饌幣帛料供進神社に指定された。
現在も安産守護・海上守護・歳徳・武徳・大難除けの神として崇敬されている。
境内には多賀城市の保存樹木が2本ある。一つは白木蓮(ハクモクレン)で、推定樹齢約220年(江戸時代)、樹高16.8メートル、周囲2.2メートル。
もう一つは老杉(スギ)で、推定樹齢約600年(室町時代)、樹高25.6メートル、周囲4.88メートル。
老杉は当社の御神木であり、正月に注連縄をかける。
例祭は4月第3日曜日で、神輿渡御がある。1月14日にはどんと祭が行われる。
なお、式内社「多賀神社」の論社は他に、市内高崎と市川に式内社名と同じ神社があり、浮島に浮島神社がある。
【ご利益】
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