淡路国総社、淡路廃帝が行宮を造営して特に親拝した古社
十一明神神社(兵庫県南あわじ市市十一ヶ所437)
[住所]兵庫県南あわじ市市十一ヶ所437
[電話]0799-36-4382 - 湊口神社

十一明神神社(じゅういちみょうじんじんじゃ)は、兵庫県南あわじ市にある神社。淡路国総社で、近代社格では村社。御朱印の有無は不明。

「一国惣社十一大明神」とも、あるいは単に総社とも呼ばれる。

主祭神は大日靈貴命国常立命伊邪那岐命伊邪那美命速須佐男命、加茂別雷命、速秋津彦命速秋津姫命少彦名命、與止姫命、田心姫命市杵島姫命湍津姫命宗像三女神)、仲哀天皇などを配祀する。

加茂別雷命は京都の賀茂別雷神社(上賀茂神社)の御祭神、與止姫命はの御祭神で、一説にはトヨタマ(初代神武天皇の祖母)とも。

貞観年間(859年-877年)、淡路国府を三原郡に定め、当社が総社として崇められた。

拝殿の額には、淡路国式内社13社の中で、名神大社である「淡路伊佐奈伎神社」と「大和大国魂神社」を除いた11社の名が掲げられ、これが社名や地名の由来と考えられている。

しかしその後、神祇官の衰微などを経て、総社としての役割が低下し、社領も順次滅損して、そのうち古伝も失われた。

一方で、永禄元年(1558年)における社僧長寿院宥怡の筆と伝えられる当社縁起では、大八洲六十余洲が荒廃したために、天照大御神が勅を下し、天児屋根命がそれに応じて邪神を平らげた、と見えるという。

また、神功皇后が西夷の征討に当たって、天照大神をはじめとした11社に祈願し、西夷征討と三韓征伐の成功後に、当社の瑞垣を修理するなどして神恩感謝したともする。

また、大炊天皇(淳仁天皇、淡路廃帝)が天平宝字8年(764年)に当国に流された際、当地付近に行宮を造営し、当社に行幸・親拝して幣を奉ったと言われる。

近世になると、別当社僧などが中心となって、復興の機運が高まり、元禄元年(1688年)に本殿が改修された。

明治6年(1873年)、村社に列せられ、明治25年(1892)に本殿が改修された。明治43年(1910年)、事代主神社・荒神社を合祀した。事代主神が御祭神として加わったのはこの時のことと考えられる。

例祭は4月第2日曜日。

【ご利益】
開運、武運長久、厄祓い、諸願成就
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