古くからの「惣社(そうざ)」国府推定地に鎮座する信濃国総社
[住所]長野県松本市大字惣社539
[電話]-
伊和神社(いわじんじゃ)は、長野県松本市惣社にある神社。信濃国総社で、近代社格では村社。正式名称は「伊和社(いわしゃ)」。御祭神は大己貴命である。御朱印の有無は不明。
信濃国の総社は、古くは信濃国分寺・信濃国分尼寺のある上田市付近にあり、科野大宮社が総社と推定されているが、平安時代初期に松本市に移り、当社に総社機能も移管されたと考えられている。
当地は古くより「惣社(そうざ)」と言われたことから、当地に総社があり、付近には国府があったと推定される。
また、国府にある国印と正倉の鍵を祀る「印鑰社(いんやくしゃ、印鑰神社)」から、「印」が「伊」に転じ、「鑰」が「輪」に書き間違えられ、「伊和」になったとする説がある。
もと「六所大明神」とも呼ばれ、源頼光と四天王(渡辺綱・卜部秀武・坂田金時・臼井貞光)に一人を加えた6人の武者を祀るという伝承もあるが、頼光らと当地の関係は見えず、総社=六所で「六所大明神」と呼ばれたことはあっても、6人の武者というのは無理があるか。
一方、兵庫県にある播磨国一宮・伊和神社から伊和明神(大国主命)を遷座したという説もある。今でも、通常「伊和神社」とだけ言えば、兵庫県の方を指すことが多い。
江戸時代の『信府統記』には「惣社六社大明神」とあり、地頭の山家薩摩守(折野氏)が播磨国姫路の惣社大明神を勧請、後に荒廃したが享保年間(1716年-1736年)に再興したという。
ただし実際には、山家薩摩守の草創とするのは誤りとの指摘がある。伊和神は古くからの信濃総社に合祀されたものと見られている。
総社に大国主命が祀られること自体、聖武天皇の発願という伝承とともに、他の旧郡国の総社でもよくみられることではある。
明治に入り、村社に列した。また、神饌幣帛料供進神社に指定された。
境内には十数本のケヤキの古木があり、植栽されたとされる。入り口の2本は、かつては県の天然記念物の指定を受けていた。現在は樹勢の衰えもあり、「伊和神社のケヤキ群」として市の天然記念物に指定されている。
例祭は5月3日。
【ご利益】
地域安寧、家内安全、縁結び
【関連記事】
・総社 - 信仰も手間を省ける、極めて日本的な制度、旧郡国ごとの総社のまとめ・一覧
・長野県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、長野県に鎮座している神社の一覧
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伊和神社(いわじんじゃ)は、長野県松本市惣社にある神社。信濃国総社で、近代社格では村社。正式名称は「伊和社(いわしゃ)」。御祭神は大己貴命である。御朱印の有無は不明。
信濃国の総社は、古くは信濃国分寺・信濃国分尼寺のある上田市付近にあり、科野大宮社が総社と推定されているが、平安時代初期に松本市に移り、当社に総社機能も移管されたと考えられている。
当地は古くより「惣社(そうざ)」と言われたことから、当地に総社があり、付近には国府があったと推定される。
また、国府にある国印と正倉の鍵を祀る「印鑰社(いんやくしゃ、印鑰神社)」から、「印」が「伊」に転じ、「鑰」が「輪」に書き間違えられ、「伊和」になったとする説がある。
もと「六所大明神」とも呼ばれ、源頼光と四天王(渡辺綱・卜部秀武・坂田金時・臼井貞光)に一人を加えた6人の武者を祀るという伝承もあるが、頼光らと当地の関係は見えず、総社=六所で「六所大明神」と呼ばれたことはあっても、6人の武者というのは無理があるか。
一方、兵庫県にある播磨国一宮・伊和神社から伊和明神(大国主命)を遷座したという説もある。今でも、通常「伊和神社」とだけ言えば、兵庫県の方を指すことが多い。
江戸時代の『信府統記』には「惣社六社大明神」とあり、地頭の山家薩摩守(折野氏)が播磨国姫路の惣社大明神を勧請、後に荒廃したが享保年間(1716年-1736年)に再興したという。
ただし実際には、山家薩摩守の草創とするのは誤りとの指摘がある。伊和神は古くからの信濃総社に合祀されたものと見られている。
総社に大国主命が祀られること自体、聖武天皇の発願という伝承とともに、他の旧郡国の総社でもよくみられることではある。
明治に入り、村社に列した。また、神饌幣帛料供進神社に指定された。
境内には十数本のケヤキの古木があり、植栽されたとされる。入り口の2本は、かつては県の天然記念物の指定を受けていた。現在は樹勢の衰えもあり、「伊和神社のケヤキ群」として市の天然記念物に指定されている。
例祭は5月3日。
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コメント
コメント一覧 (1)
実は拝殿に張り紙がしてあって「ご朱印をご希望の方は…」と携帯電話の番号が掲示されているので、ご朱印は頂けるようです。
先日もお舟祭が行われていました。穂高神社を始めとして、何故か松本平一帯にはお舟祭が多いです。
地名でも「渚」(松本駅の近く)や「舟付橋」(惣社から東の山中に入った村落)などがあります。
そもそも「あずみ/あづみ」は西の方の海の民で、空飛ぶ舟に乗ってこの地に到来したという伝説がありますね。