明治になって式内社の決定が覆ったものの県社に列格、安房国二宮の可能性
[住所]千葉県館山市洲宮921
[電話]-

洲宮神社(すのみやじんじゃ)は、千葉県館山市洲宮にある神社。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 安房国 安房郡「后神天比理乃咩命神社」に比定される式内社(大社)の論社。近代社格では県社

主祭神は天比理乃咩命(あまのひりのめのみこと)。安房神社御祭神天太玉命の后神で、元の名を「洲ノ神(すさきのかみ)」と称する。天比理刀咩命(あめのひりとめのみこと)などとも。

相殿に天鈿女命(あめのうずめのみこと)、阿波忌部を率いて安房を開拓した天富命(あめのとみのみこと)を祀る。

社伝によれば初代神武天皇元年に天富命が魚尾山に神社を創建し、当時海辺にあったことから「洲神」や「洲宮」と呼ばれたとする。

「天比理刀咩神」は度々六国史に登場し、神階の陞叙を受けている。国史見在社としても、また式内社「后神天比理乃咩命神社」としても、他の論社には洲崎神社がある。

洲崎神社と当社は「洲の神」を祀る一之宮と二之宮、あるいは洲崎神社が拝所、当社が奥宮であり、どちらにしろ一体、との見方もある。

『洲崎神社伝記』では、当社は始め明神山の洲の辺に鎮座していたが、後に魚尾山へ遷座、文永10年(1273年)10月15日の夜に発生した火災により社殿を焼失。

その後長らく仮宮に鎮座し、永享11年(1439年)10月に現在地へ遷座したと伝える。ただし、現在地からも祭祀に使われた鏡や土器が出土しており、この地でも古代から祭祀が行われていたことがわかる。

江戸期、洲崎神社は安房国一宮ともされた(本来的には安房神社が一宮)が、当社は安房国二宮の可能性がある。

安房国二宮以下は不詳とされるが、現在、安房国司祭における安房国総社である鶴谷八幡宮への神輿渡御で、当社は「安房二ノ宮洲宮神社」の高張りを掲げ、安房神社の次順で斎場へ入御する。

明治5年(1872年)、教部省は当社を式内社と定めたが、翌6年(1873年)にこの決定を覆して洲崎神社を式内社とした。

ただし、この決定の論拠はあまり明白でないとされ、文永10年の火災で古記録を失ったことが式内社指定変更の原因の一つとされる。

それでも洲崎神社と同じく県社に列格されているので、洲崎神社と少なくとも同等の由緒と明治政府が見ていたことには変わりない。例祭は8月9日。

南北朝期から室町時代前期の作とされる木造天部像、失われた『安房国風土記』が含まれているとされる洲宮神社縁起、古墳時代の祭祀用土製模造品が市の有形文化財に指定されている。

毎年元日の朝に豊作を願って行われる御田植神事が市の無形民俗文化財。

【ご利益】
海上・交通安全、五穀豊穣・商売繁盛
洲宮神社 - 明治になって式内社の決定が覆ったものの県社に列格、安房国二宮の可能性
【関連記事】
安房国司祭やわたんまちとは? - 9月の敬老の日の前の土曜・日曜日、10社の神輿が乱舞
千葉県の旧県社 | 府県社とは? - 旧県社(縣社)・旧府社、その都道府県の中で有力な神社
千葉県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、千葉県に鎮座している神社の一覧