白鷹の伝承が残る、新川郡・新庄村の地名の由来となった御祭神
新川神社(富山県富山市新庄町2-13-47)
[住所]富山県富山市新庄町2-13-47
[電話]076-441-8186

新川神社(にいかわじんじゃ)は、富山県富山市新庄町にある神社。近代社格では郷社。御朱印の有無は不明。

御祭神は、大己貴命白山比咩命(白山)・天照皇大神(神明)・菅原道真公(天神)を主祭神とし、琴比羅神建御名方命を合せ祀る。大己貴命を「大新川命」、白山比咩命を「大新川姫命」と称したとも。新川郡の地名は大新川命にちなむもの。

貞享2年(1685年)の由来書には「白山、神明、天神云々」とあり、「新川四社権現」とも称された。ただし、現在の当社公式サイトでは、主祭神を大己貴命、大新川命と併記し、白山比咩命・天照皇大神・菅原道真公・琴比羅神・建御名方命を合祀としている。

『日本三代実録』貞観9年(867年)2月27日条に「正五位上、新川神に従四位下を授く」という記述が初見で、同18年7月11日には従四位上に昇叙されているが、『延喜式神名帳』の記載はないものの、いわゆる国史見在社

『郷村名義抄』では、「新庄村は白鳳3年(663年)に老人夫婦顕れ、『我は 面足尊(おもだるのみこと)、惶根尊(かしこねのみこと) の化身なり、この地の氏神と成るべし』と述べるや、白鷹となり飛び去っていった」という。

これよりこの地を新庄村と唱えるようになったといい、今日でも当社の社紋は鷹の羽を意匠した「違い鷹の羽(は)」となっている。

元の鎮座地は志麻郷八島野(現 富山市五本榎)であり、中世以降は新庄城の鎮守とされた。元和元年(1615年)夏、常願寺川の洪水により社殿が浸水したので、高台の現在地に遷座、以後周辺は洪水に悩まされながらも、当社に被害がなかったため、水の神としても崇敬された。

江戸時代中期から明治維新までは立山権現(雄山神社)の前立社とみなされ、立山に参詣する者は必ず当社に参拝した。明治6年(1873年)に郷社に列格した。

なお、立山山麓の芦峅寺の姥堂が明治の廃仏棄釈により取り壊された時、姥堂が式外社「新川神社」として再興が願い出られたが、証拠不十分として認められなかった。現在、芦峅寺の後裔である雄山神社中宮の境内には、末社として新川姫神を御祭神とする治国社(宝童社)がある。

例祭は4月19日・10月19日。毎年4月19日に斎行される春祭には神輿渡御があり、その先導役として新庄では「どべ」と呼ばれる独自の衣装をまとった猿田彦神が登場する。

【ご利益】
国土経営・農耕・縁結び・医療・酒造の神、新庄守護神・水神など(公式HP
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