古くからの要衝である逢坂の関に祀られた音曲芸道の祖神、上社と下社
関蝉丸神社(滋賀県大津市逢坂1-15-6)
[住所]滋賀県大津市逢坂1-15-6
[電話]077-522-6082

関蝉丸神社(せきせみまるじんじゃ)は、滋賀県大津市にある神社。上社(旧称:関大明神蝉丸宮、坂頭の社)と下社(旧称:関清水大明神蝉丸宮、坂脚の社)からなり、また当社の分社とされる蝉丸神社と三社を併せて蝉丸神社と総称する場合もある。近代社格では郷社。参拝すれば、「上社」「下社」双方の御朱印を頂ける。

御祭神は上社が猿田彦命、下社が豊玉姫命。上下両社それぞれに相殿神として蝉丸霊を祀る。社伝によれば、弘仁13年(822年)に小野岑守が旅人を守る神とされる御祭神二柱を逢坂山の山上(上社)と麓(下社)に祀ったのに始まるとされる。

ただし、当地は古くより国堺神・坂神・手向の神(道祖神)、また逢坂越の関の守護神としても崇敬され、更に王城の疫神として疫神祭(道饗祭)が斎行されたこともあり、創祀はより遡ると考えられている。

『日本三代実録』貞観17年(876年)に従五位下を授かった近江国「坂神」に相当する国史見在社と見られている。他の論社に長浜市の上坂神社がある。

平安時代中期の琵琶法師・歌人である蝉丸が逢坂山に住み、その没後上社と下社に祀られるようになった。逢坂の関に庵をむすび、往来の人を見て詠んだ和歌で知られる(『百人一首』では “行くも帰るも分かれては” となっている)。
これやこの 行くも帰るも分かれつつ 知るも知らぬも逢坂の関
『続古今和歌集』には下記の和歌が収録されている他、蝉丸の歌は『新古今和歌集』にも二首収録されている。
逢坂の関の 嵐のはげしきにしひてぞ ゐたるよを過ぎむとて
天禄2年(971年)には綸旨を下賜され、以後、関明神として、歌舞音曲の神として信仰されるようになった。鴨長明による鎌倉時代の歌論書『無名抄』にも記載がある。

『今昔物語』巻第24第22話には、管弦の名人であった源博雅が、逢坂の関に蝉丸という琵琶の名手が住むとの噂を聞き、当時蝉丸だけが伝えていた「流泉」「啄木」という秘曲の伝授を乞うため逢坂山に通い、3年の月日が流れた8月15日に、ようやく秘曲を聞くことができたという逸話もある。

江戸時代には諸国の説教者(雑芸人)を統轄し、免許を受ける人々が全国的規模で増加したという。昭和5年(1930年)に郷社に列格した。例祭は5月24日。

下社の時雨燈籠が国の重要文化財に指定されている。下社の境内にはる「関の清水」がある。

境内社に貴船神社・中臣稲荷神社・大神宮神・関清水神社・天満宮があり、境外に貴船神社がある。

現在、下社は、石灯籠の入り口の横に「関蝉丸神社」と「音曲藝道祖神」の石碑が並び、そこから一の鳥居にかけての参道を京阪電鉄が横切るように走り、踏切が隣接していることでも知られる。踏切がある神社の一つ。

【ご利益】
音曲芸道、学業・学問成就、交通安全
関蝉丸神社 - 古くからの要衝である逢坂の関に祀られた音曲芸道の祖神、上社と下社
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関蝉丸神社の御朱印