本殿が2棟並び立ち殿宮神社とともに鎮座する、式内社を合祀した国史見在社
[住所]徳島県板野郡上板町神宅字宮ノ北45
[電話]-
葦稲葉神社(あしいなばじんじゃ)は、徳島県板野郡上板町にある神社。近代社格では村社。葦稲葉神(倉稲魂命)を主祭神に鹿江比売命(草野姫命)を合祀する。御朱印の有無は不明。
本殿が2棟並び立つが、西側(向かって左)が当社で、東側は摂社の殿宮神社。殿宮神社の御祭神は素盞嗚尊。当社の別名「殿宮」はこの摂社の社号にちなむ。
末社として付近に新宮神社、剣山神社、山神社などがある。
創祀年代は不詳だが、『続日本後紀』承和9年(842年)10月壬戌(2日)の条に無位から従五位下に叙位され、その後従五位上に昇っている。
また、『日本三代実録』貞観9年(867年)4月23日条に従五位上から正五位上へ、同16年に従四位下、元慶3年(879年)に従四位上へと昇叙されたことが見える国史見在社である。
また、合祀されている鹿江比売命は『延喜式』巻9・10神名帳 南海道神 阿波国 板野郡「鹿江比売神社」に比定される式内社(小社)の論社。
合祀された時代も事情も一切不明。式内社「鹿江比売神社」の論社は他に、大麻比古神社境内の小祠がある。
ただ、当地には低いながらも山容の美しい大山が聳え、鎮座地はその南麓扇状地のほぼ中央に位置する。
そのため、この大山を神として崇めるとともに山麓に広がる水田の守護神として両者ともに祀られたものと推測されている。
社伝によれば、往古は大山中腹の字大山畑の葦野原に鎮座し、水害により字宮ヶ谷へ遷り、更にその後放火に遭ったために南麓の現社地へと遷されたものであるという。
しかし、現社地近隣からも大正4年(1915年)に銅鐸が出土しており、当地もまた弥生時代には大規模な集落があり、さらに大山山麓には古墳が多数分布する。
例祭は10月22日。
【ご利益】
五穀豊穣・商売繁盛
【関連記事】
・国史見在社 - 『延喜式』に先行する六国史に記載のある神社で、式外社を指すことが多い
・徳島県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、徳島県に鎮座している神社の一覧
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葦稲葉神社(あしいなばじんじゃ)は、徳島県板野郡上板町にある神社。近代社格では村社。葦稲葉神(倉稲魂命)を主祭神に鹿江比売命(草野姫命)を合祀する。御朱印の有無は不明。
本殿が2棟並び立つが、西側(向かって左)が当社で、東側は摂社の殿宮神社。殿宮神社の御祭神は素盞嗚尊。当社の別名「殿宮」はこの摂社の社号にちなむ。
末社として付近に新宮神社、剣山神社、山神社などがある。
創祀年代は不詳だが、『続日本後紀』承和9年(842年)10月壬戌(2日)の条に無位から従五位下に叙位され、その後従五位上に昇っている。
また、『日本三代実録』貞観9年(867年)4月23日条に従五位上から正五位上へ、同16年に従四位下、元慶3年(879年)に従四位上へと昇叙されたことが見える国史見在社である。
また、合祀されている鹿江比売命は『延喜式』巻9・10神名帳 南海道神 阿波国 板野郡「鹿江比売神社」に比定される式内社(小社)の論社。
合祀された時代も事情も一切不明。式内社「鹿江比売神社」の論社は他に、大麻比古神社境内の小祠がある。
ただ、当地には低いながらも山容の美しい大山が聳え、鎮座地はその南麓扇状地のほぼ中央に位置する。
そのため、この大山を神として崇めるとともに山麓に広がる水田の守護神として両者ともに祀られたものと推測されている。
社伝によれば、往古は大山中腹の字大山畑の葦野原に鎮座し、水害により字宮ヶ谷へ遷り、更にその後放火に遭ったために南麓の現社地へと遷されたものであるという。
しかし、現社地近隣からも大正4年(1915年)に銅鐸が出土しており、当地もまた弥生時代には大規模な集落があり、さらに大山山麓には古墳が多数分布する。
例祭は10月22日。
【ご利益】
五穀豊穣・商売繁盛
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