天智天皇の時代の勧請、弥生式住居跡の一宮遺跡と三日祭
[住所]鹿児島県鹿児島市郡元2-4-27
[電話]099-254-0092
一之宮神社(いちのみやじんじゃ)は、鹿児島県鹿児島市にある神社。近代社格では村社。御祭神は、天照大神、猿田彦命、天智天皇。参拝すれば、御朱印を頂ける。
社伝では、天智天皇(在位:668年-672年)の頃、天智天皇の一の姫宮が枚聞神社を勧請し、現在の鹿児島市南郡元町付近に創建された。
当初より一之宮大明神と称えられ、史料上の初見は建久8年(1197年)の『建久図田帳』に「太宰府領社郡元社」とある「郡元社」が当社と見られている。その後、広大な荘園を抱え、別当寺として延命院をもつ、薩摩国有数の大社となった。
島津家初代の島津忠久(?年-1227年)以来、毎年元旦に、まず当社一之宮を、次に二之宮(現 草牟田の鹿児島神社)、次に三之宮(現 川上町の川上天満宮)を巡拝するを例とし、18代島津家久(1576年-1638年)まで続いた。いわゆる鹿児島三社。
元禄年間(1688年-1704年)、社号を一條宮と改称、下って明治初年(1868年)の地租改正の折、更に郡元神社と改称したが、昭和30年(1955年)に当初の一之宮神社に復した。
昭和25年(1950年)に境内を発掘したところ、地上からわずか1メートルのところで弥生時代の集落が発見された。現在は県史跡の弥生式住居跡の一宮遺跡となっている。
付近の鹿児島大学郡元キャンパスや中郡小学校からも弥生時代から平安時代に至る集落や水利施設が発掘されたことから、当社周辺が令制時代の鹿児島郡の中心地であったとの説がある。
また、同時に西南戦争の慰霊も兼ねた神社ともなっており、境内の端のほうには小さいながらも慰霊碑がある。中央には柱があるが、その柱の正体は不明。
大永の名号板碑が境内に建つ。大永5年(1525年)に、道中という人が別当寺であった延命院へ寄進したものと考えられる。県の有形文化財(考古資料)に指定された。
例祭は11月9日。御神幸祭(浜下り)。また、1月3日に打植祭が行われる。三日祭とも称し、その年の五穀豊穣を願って行われるお田植神事である。
苗(松葉を代用)、モミ米、重ね餅を供えて祈願祭を行い、終って木製の牛を引いて社殿を三周し、社前に設けられた斎田で農耕の諸所作を行い、宮司がモミ米を散布して終了する。牛を撫でさすった餅を食すればその年無病息災となるとされる。
【ご利益】
開運、五穀豊穣・商売繁盛、無病息災、交通安全

【関連記事】
・鹿児島三社 - 江戸時代以前までの島津家当主に崇敬・勧請された鹿児島市に鎮座する三神社
・鹿児島県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、鹿児島県に鎮座している神社の一覧
[電話]099-254-0092
一之宮神社(いちのみやじんじゃ)は、鹿児島県鹿児島市にある神社。近代社格では村社。御祭神は、天照大神、猿田彦命、天智天皇。参拝すれば、御朱印を頂ける。
社伝では、天智天皇(在位:668年-672年)の頃、天智天皇の一の姫宮が枚聞神社を勧請し、現在の鹿児島市南郡元町付近に創建された。
当初より一之宮大明神と称えられ、史料上の初見は建久8年(1197年)の『建久図田帳』に「太宰府領社郡元社」とある「郡元社」が当社と見られている。その後、広大な荘園を抱え、別当寺として延命院をもつ、薩摩国有数の大社となった。
島津家初代の島津忠久(?年-1227年)以来、毎年元旦に、まず当社一之宮を、次に二之宮(現 草牟田の鹿児島神社)、次に三之宮(現 川上町の川上天満宮)を巡拝するを例とし、18代島津家久(1576年-1638年)まで続いた。いわゆる鹿児島三社。
元禄年間(1688年-1704年)、社号を一條宮と改称、下って明治初年(1868年)の地租改正の折、更に郡元神社と改称したが、昭和30年(1955年)に当初の一之宮神社に復した。
昭和25年(1950年)に境内を発掘したところ、地上からわずか1メートルのところで弥生時代の集落が発見された。現在は県史跡の弥生式住居跡の一宮遺跡となっている。
付近の鹿児島大学郡元キャンパスや中郡小学校からも弥生時代から平安時代に至る集落や水利施設が発掘されたことから、当社周辺が令制時代の鹿児島郡の中心地であったとの説がある。
また、同時に西南戦争の慰霊も兼ねた神社ともなっており、境内の端のほうには小さいながらも慰霊碑がある。中央には柱があるが、その柱の正体は不明。
大永の名号板碑が境内に建つ。大永5年(1525年)に、道中という人が別当寺であった延命院へ寄進したものと考えられる。県の有形文化財(考古資料)に指定された。
例祭は11月9日。御神幸祭(浜下り)。また、1月3日に打植祭が行われる。三日祭とも称し、その年の五穀豊穣を願って行われるお田植神事である。
苗(松葉を代用)、モミ米、重ね餅を供えて祈願祭を行い、終って木製の牛を引いて社殿を三周し、社前に設けられた斎田で農耕の諸所作を行い、宮司がモミ米を散布して終了する。牛を撫でさすった餅を食すればその年無病息災となるとされる。
【ご利益】
開運、五穀豊穣・商売繁盛、無病息災、交通安全

【関連記事】
・鹿児島三社 - 江戸時代以前までの島津家当主に崇敬・勧請された鹿児島市に鎮座する三神社
・鹿児島県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、鹿児島県に鎮座している神社の一覧

コメント