室の八嶋で知られる下野国総社、崇神期に奈良・大神神社を勧請
[住所]栃木県栃木市惣社町477
[電話]0282-27-6126

大神神社(おおみわじんじゃ)は、栃木県栃木市惣社町にある神社。参拝すれば、「下野惣社」などとある御朱印を頂ける。

延喜式』巻9・10神名帳 東山道神 下野国 都賀郡「大神社」に比定される式内社(小社)の論社。下野国総社で、近代社格では県社

古くは「下野惣社大明神」「惣社六所大明神」「八島大明神」などの別称があった。

御祭神は倭大物主櫛𤭖玉命(やまとおおものぬしくしみかたまのみこと)、つまり大物主命木花咲耶姫命瓊々杵命大山祇命彦火々出見命を配祀する。

社伝によれば、第10代崇神天皇の時代に皇子である豊城入彦命が東国平定の折に戦勝と人心平安を祈願した。

その際、当時から広く名を知られた室の八嶋(むろのやしま、室の八島とも)に、崇神天皇が都とした大和国磯城瑞籬宮(師木の水垣宮とも)に座した大三輪大神(大神神社)を勧請したのが創建。

また、当社は下野国の総社にあたるとされる。当社の南方約2.8キロの地には下野国庁跡も発掘されている。

平将門の乱により被害を受けたが、藤原秀郷らの寄進により再建され、室町時代まで社殿は広く立派であったと伝える。

しかし戦国時代に、皆川広照の残兵が当社に篭り、北条氏直の軍勢が火を放ったために焼失し、荒廃した。

その後、徳川三代将軍徳川家光による社領30石と松の苗1万本の寄進などにより、天和2年(1682年)に現在の形へと復興したという。

ただし、資料不足で、当社が「大三輪」と呼ばれていたかどうか、不明な点は多い。

明治維新後、明治6年(1873年)に郷社に列し、明治40年(1907年)に神饌幣帛料共進神社に指定され、明治44年(1911年)に県社に昇格した。

大正13年(1924年)に社殿の大改修、平成5年(1993年)に室の八嶋の大改修などが行われて現在に至っている。

室の八嶋(むろのやしま)は、古来の和歌などに歌枕として見られる地名。当社境内の池中の島をその跡と伝える。

奈良時代の昔から、歌枕として都にまでその名を知られ、『万葉集』や『古今和歌集』をはじめとする多くの和歌集などに登場する。

境内社として、神宮・護国神社・福神神社・大杉神社・祖霊社・左門神社・右門神社がある他、室の八嶋には、浅間神社・二荒山神社・筑波神社・雷電神社・香取神社・鹿島神社・熊野神社・天満宮がある。

例祭は4月16日と11月中下旬。春季は流鏑馬が催行される。秋季は御鉾祭(市指定無形民俗文化財)。8月1日は八島祭、8月中旬には大杉祭・風祭が行われる。また、当社の神楽も市指定無形民俗文化財。

なお、式内「大神社」の論社は他に、栃木県栃木市平井町の太平山神社がある。

【ご利益】
家内安全・商売繁盛・良縁(栃木県神社庁
大神神社(栃木市) - 室の八嶋で知られる下野国総社、崇神期に奈良・大神神社を勧請
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大神神社(栃木市)の御朱印