武家の崇敬厚く、後醍醐帝の皇孫御陵がある出羽国総社
六所神社(山形県鶴岡市上藤島字六所畑62)
[住所]山形県鶴岡市上藤島字六所畑62
[電話]0235-64-2801

六所神社(ろくしょじんじゃ)は、山形県鶴岡市上藤島にある神社。出羽国総社とも推定され、近代社格では郷社。往古は見満山満願寺六所権現とも。御朱印の有無は不明。

御祭神は、大物忌大神・小物忌大神・月山大神・出羽大神・由豆佐売大神・遠賀大神。天照皇大神・薬師大神を配祀する。

第50代桓武天皇の御宇、延暦13年(794年)に創建されたと伝わる。当初、出羽郡府の頃は国常立尊伊弉諾尊伊弉冉尊素戔鳴尊大己貴神事代主神の六柱を奉斎した。

その後、式内社などを合祭し、出羽国鎮護の国府総社として国司奉幣の神社となった。

古来藤島城主、庄内領主を始め諸将の崇敬された社で、建久年間(1190年-1199年)には源頼朝が天下太平祈願のため金の扇子を奉納している。建仁3年(1203年)8月に社殿を再建した。

建武年間(1334年-1336年)、平形館主九鬼長門守が獅子頭を直作して奉納した。その他にも江戸初期前後と思われる獅子頭がある。正平年間(1347年-1370年)、南朝の北畠顕信が藤島城で挙兵した際、当社を祈願所とした。

現在も拝殿脇に、後醍醐天皇の皇子尊良親王の第一皇子である守永親王の御陵と書かれた「一品守永親王御陵花山院」の標がある。

最上義光による慶長17年(1612年)6月4日付の社領七石六斗四升の黒印がある。また、豊臣秀吉より社領として朱印の寄進があった。

享保13年(1728年)10月、社殿造替の際、出羽国庄内藩4代藩主酒井忠真より後田林の大松木が10本奉納され、天保4年(1834年)の飢饉に際しては、藩の代官所より祈祷依頼があり、翌年大豊作となって、その返礼として、燈石二基が奉納され、中川郷71ケ村より大幟二流の献納があった。

天保11年(1841年)、藩主酒井忠器が越後に国替えに際しては、数万単位の百姓が当社に群集して祈願と協議を開き、後嘉永2年(1849年)7月16日に忠器直筆の「六所神社」の扁額が奉納された。

明治9年(1876年)2月に郷社に列格、明治40年(1907年)4月11日に神饌幣帛科共進神社に指定された。

境内にある欅は全体が見事な冠状を呈し、庄内地方では鶴岡市の日枝神社、庄内町の阿古屋の欅と並ぶ大木で、樹齢は不明ながら、幹回り約6.45メートルで、市指定文化財。

例祭は4月20日。神前で神楽が奉納される。地域も含め、室町時代からの伝統を引き継ぐ藤島の獅子踊りが伝わっている。

なお、鶴岡市には同名神社が当社を含めて三社あり、当社以外では、三和と半田にある。半田は天正年間(1573年-1593年)の創建。三和は時に出羽国総社とされる場合があるが、おそらく当社が出羽国総社だと考えられる。

また、やはり出羽国総社に推定されるものとして、酒田市市条の八幡神社、秋田市の総社神社がある。

【ご利益】
地域の発展と安寧、家内安全
六所神社(鶴岡市上藤島) - 武家の崇敬厚く、後醍醐帝の皇孫御陵がある出羽国総社
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