神武天皇の長子から連なる一族の氏神を祀って発展した河内国総社の古社
[住所]大阪府藤井寺市惣社1-6-23
[電話]072-953-2525 - 道明寺天満宮
志貴県主神社(しきあがたぬしじんじゃ、志貴縣主神社)は、大阪府藤井寺市惣社にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 河内国 志紀郡「志貴県主神社」に比定される式内社(大社)。河内国総社で、近代社格では村社。河内の惣社の宮と呼ばれた。
初代神武天皇の長子(『古事記』では第二子)である神八井耳命を主祭神とし、伊勢大神(天照大神)・春日大神(天児屋命・比咩大神・武甕槌命・経津主命)・住吉三柱神・神功皇后を配祀する。
ただし、『河内名所図会』では御祭神を「磯城県主黒速」としている。『古事記』に第21代雄略天皇の段で、「志幾之大縣主」の記述がみられる。
奈良時代、この一帯は「志貴(磯城)の県」という朝廷の直轄地で、それを管理していたのは神八井耳命を祖とする志貴県主(しきのあがたぬし)と、その同族の志貴首(しきのおびと)であった。
創祀・創建の由緒は不詳であるが、『日本三代実録』清和天皇の貞観4年(862年)2月に記載があり、当社はその氏神として創祀されたものとみられる。
関連する神社として、市内大井に志疑神社、市内北條町に黒田神社がある。
また、『河内誌』に「国府属邑一」とあることから、この地に河内国府が設置された時に創建されたものと考えられている。
中世には、楠木正成が祈願所としたことなどにより隆昌を極めたが、楠木氏の衰亡とともに衰退し、さらに戦国時代にはたびたび兵火にかかり、何度か遷座を余儀なくされた。
明治5年(1872年)に村社に列した。現在は惣社地区の氏神となって崇敬されている。例祭は10月9日。
志紀氏に関連して、市内には志疑神社がある。また、似た社号として、奈良県桜井市に志貴御県坐神社があるが、関連はない。
【ご利益】
地域の発展と安寧、家内安全、子宝・子孫繁栄、開運
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志貴県主神社(しきあがたぬしじんじゃ、志貴縣主神社)は、大阪府藤井寺市惣社にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 河内国 志紀郡「志貴県主神社」に比定される式内社(大社)。河内国総社で、近代社格では村社。河内の惣社の宮と呼ばれた。
初代神武天皇の長子(『古事記』では第二子)である神八井耳命を主祭神とし、伊勢大神(天照大神)・春日大神(天児屋命・比咩大神・武甕槌命・経津主命)・住吉三柱神・神功皇后を配祀する。
ただし、『河内名所図会』では御祭神を「磯城県主黒速」としている。『古事記』に第21代雄略天皇の段で、「志幾之大縣主」の記述がみられる。
奈良時代、この一帯は「志貴(磯城)の県」という朝廷の直轄地で、それを管理していたのは神八井耳命を祖とする志貴県主(しきのあがたぬし)と、その同族の志貴首(しきのおびと)であった。
創祀・創建の由緒は不詳であるが、『日本三代実録』清和天皇の貞観4年(862年)2月に記載があり、当社はその氏神として創祀されたものとみられる。
関連する神社として、市内大井に志疑神社、市内北條町に黒田神社がある。
また、『河内誌』に「国府属邑一」とあることから、この地に河内国府が設置された時に創建されたものと考えられている。
中世には、楠木正成が祈願所としたことなどにより隆昌を極めたが、楠木氏の衰亡とともに衰退し、さらに戦国時代にはたびたび兵火にかかり、何度か遷座を余儀なくされた。
明治5年(1872年)に村社に列した。現在は惣社地区の氏神となって崇敬されている。例祭は10月9日。
志紀氏に関連して、市内には志疑神社がある。また、似た社号として、奈良県桜井市に志貴御県坐神社があるが、関連はない。
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