どんな日照りでも枯れない「御所の池」があったから国府に、石見国総社
[住所]島根県浜田市下府町935
[電話]0855-28-0847 - 下府公民館
伊甘神社(いかんじんじゃ)は、島根県浜田市下府町にある神社。府中神社を配祀する。例祭は10月10日。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「伊甘神社(石見国・那賀郡)」に比定される式内社(小社)。石見国総社で、近代社格では村社。
創建は貞観3年5月5日と伝わる。御祭神は足彦国押人命で、古代の石見地方開拓に尽力した小野族・猪甘部の遠祖。
『日本三代実録』貞観17年(875年)に「石見国従五位勲七等下」、元慶3年(879年)に「授石見国正五位下勲七等伊甘神社正五位上云々」とある。
『延喜式』当時、国幣並社の待遇を与えられていたという。以前は「吹上浜」と称する東北方の小高い丘上に鎮座していたが、その後現在地に遷座した。
現在の社地は石見国府跡で、社宝として印鑰神社の棟札を保存している。
別当は真言宗光明寺だった。明治5年(1872年)に村社に列し、その後に神饌幣帛料共進神社に指定された。
昭和21年(1946年)に神社本庁に属して、今日に到る。本殿の形式は「変態春日造」。
境内には「御所の池」がある。「伊甘の池」とも。このあたりの字名を御所と称し、かつては国庁庭園の池であったと伝わる。
一帯は、下府砂丘下の清水がこんこんと豊富に湧き出る水筋に当たるという。どんな日照り年でも涸れたことがないとされ、この池の存在が、この地域に国庁が置かれた理由の一つに挙げられている。
なお、下府の地名はもちろん国府にちなむ。それに対応する上府もあり、現在の上府町には一国一社の八幡宮、いわゆる国府八幡宮、あるいは国分八幡宮と考えられる上府八幡宮がある。
【ご利益】
地域の発展と安寧、病気平癒
【関連記事】
・総社 - 信仰も手間を省ける、極めて日本的な制度、旧郡国ごとの総社のまとめ・一覧
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[電話]0855-28-0847 - 下府公民館
伊甘神社(いかんじんじゃ)は、島根県浜田市下府町にある神社。府中神社を配祀する。例祭は10月10日。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「伊甘神社(石見国・那賀郡)」に比定される式内社(小社)。石見国総社で、近代社格では村社。
創建は貞観3年5月5日と伝わる。御祭神は足彦国押人命で、古代の石見地方開拓に尽力した小野族・猪甘部の遠祖。
『日本三代実録』貞観17年(875年)に「石見国従五位勲七等下」、元慶3年(879年)に「授石見国正五位下勲七等伊甘神社正五位上云々」とある。
『延喜式』当時、国幣並社の待遇を与えられていたという。以前は「吹上浜」と称する東北方の小高い丘上に鎮座していたが、その後現在地に遷座した。
現在の社地は石見国府跡で、社宝として印鑰神社の棟札を保存している。
別当は真言宗光明寺だった。明治5年(1872年)に村社に列し、その後に神饌幣帛料共進神社に指定された。
昭和21年(1946年)に神社本庁に属して、今日に到る。本殿の形式は「変態春日造」。
境内には「御所の池」がある。「伊甘の池」とも。このあたりの字名を御所と称し、かつては国庁庭園の池であったと伝わる。
一帯は、下府砂丘下の清水がこんこんと豊富に湧き出る水筋に当たるという。どんな日照り年でも涸れたことがないとされ、この池の存在が、この地域に国庁が置かれた理由の一つに挙げられている。
なお、下府の地名はもちろん国府にちなむ。それに対応する上府もあり、現在の上府町には一国一社の八幡宮、いわゆる国府八幡宮、あるいは国分八幡宮と考えられる上府八幡宮がある。
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