国史に宗像大社と同神と明記される皇居鎮護の神、左近の桜など
[住所]京都府京都市上京区京都御苑9
[電話]075-231-6080

宗像神社(むなかたじんじゃ)は、京都府京都市上京区にある神社。近代社格では府社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

御祭神は宗像三女神市寸島比売命多紀理比売命多岐都比売命)を主祭神に、倉稲魂神と天岩戸開神の二柱を配祀する。

『延喜式神名帳』には記載はないが、主祭神は『日本三代実録』に、筑前国の宗像神社(現 宗像大社)と鎮座地を異にするが「同神」で、「同神別社」であると記され、いわゆる国史見在社である。

配祀神の天岩戸開神も国史見在社(天石戸開神)を合祀したもので、『花山院家記』(『山城名勝志』所引)には合祀前の状況を「天石戸開神。大石也。霊有り」とある。

社伝によれば、延暦14年(795年)、藤原冬嗣が桓武天皇の勅命を受け、皇居鎮護の神として筑前宗像神を勧請し、自邸である東京第(東京一条第ともいう)の西南隅に祀ったものと伝える。

東京第は嘉祥3年(850年)に清和天皇(生母は冬嗣の孫の明子)が誕生した場所で、その縁から清和天皇の産神・産土神として崇められた。

そこで、宗像三女神には即位の翌年である貞観元年(859年)に正二位が授けられ、その後従一位に昇進。同7年(865年)には同じく天石戸開神にも従三位が授けられた。

その後、藤原時平の代に倉稲魂神を合祀し、更に天承元年(1131年)に藤原師実から子家忠が花山院を伝領して花山院家を開き、天石戸開神をも合祀、建治元年(1275年)に初めて官社に列した。

応仁の大乱の兵災に罹り焼亡したが、その後再建され、周辺一帯の公家町化の過程で、花山院家が転宅した後も、別当は花山院家が引き続き対応したものの、鎮座地を変えず、明治天皇の東京遷都によって御苑内鎮座となり、明治8年(1875年)に府社に列した。

なお、京都御苑内には当社の他、九条家の鎮守社だった厳島神社、西園寺家の鎮守社だった白雲神社と、邸内社の背景を持つ神社が残る。

境内社に繁栄稲荷社、少将井社、金刀比羅宮(文化3年(1806年)、金刀比羅宮を勧請)、花山稲荷社(樹齢600年の楠の大木の下に鎮座)、京都観光神社(昭和44年(1969年)11月1日、猿田彦大神を道案内の神として勧請創祀)がある。

昭和11年(1936年)に京都御所紫宸殿前に樹つ左近の桜が植え替えた際に当社境内に移植されている。

例祭は9月15日だが、近年は例祭日の後の日曜日または祝日に、神賑いの日として神楽舞など奉納を行っている。春と秋には花山稲荷神社・京都観光神社の祭礼があり、神楽舞やヴァイオリンのミニコンサートなど奉納される。

1-2月の境内では水仙が咲き乱れ、4月上旬は桜、10-11月にカリンの実がたわわに実る。紅葉の木も色づく11月中旬から下旬が見頃。

【ご利益】
方除け(御苑内の西南、つまり裏鬼門に鎮座)、交通安全、無病息災
宗像神社(京都市) - 国史に宗像大社と同神と明記される皇居鎮護の神、左近の桜など
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宗像神社(京都市)の御朱印