景行天皇の時代に伊勢神宮を伊予に勧請と伝わる、風の神を祀る国史見在社
[住所]愛媛県西条市朔日市567
[電話]0897-55-3510

風伯神社(ふうはくじんじゃ)は、愛媛県西条市にある神社。近代社格では村社。神紋は剣矢車。級津彦神・級津姫神を祀る。御朱印の有無は不明。

『日本三代実録』には、清和天皇貞観17年(875年)3月29日、授伊予国六位上風伯神とある。いわゆる国史見在社である。

社伝によると、第12代景行天皇の皇子・武国凝別命(『古事記』には記載されない)が伊勢の神宮(伊勢神宮)より伊予へ御分霊を奉じた際、海上守護のために、龍田の神(風神)を奉祀したことによると伝えられている。この場合の龍田の神は現在の龍田大社と考えられる。

しかし、伊勢神宮からの勧請となると、皇大神宮(内宮)の別宮に風日祈宮が、豊受大神宮(外宮)の別宮に風宮がそれぞれあるため、こちらの可能性も指摘されているものの、伊勢神宮の風神の権威が高まるのは中世から、ともされている。

江戸幕府3代将軍徳川家光の時代に一柳直盛が伊勢神戸から西条6万8600石に転封となり、その赴任途上の病死により長男直重が西条3万石となって赴任、その直重が陣屋を築造するにあたり、鬼門除けとして、当社を現在の位置に移したといわれる。

境内において地方物産の市が四月朔日、七月朔日に盛大に開かれたことにより、当地名が朔日市と名付けられたという。

寛政年間(1789年-1801年)に今磯野宮(神拝村の氏神)が合殿合祀し、風伯今磯神社となった。ただし、「風伯神社」の名称は今でも普通に使われているため、当社が今磯野宮の豊受比売神、大山祇命を合祀したと理解できるか。

例祭は5月3日、神輿、だんじり、神楽など。

【ご利益】
天と地の間即ち大気・生気・風力を司る神
風伯神社 - 景行天皇の時代に伊勢神宮を伊予に勧請と伝わる、風の神を祀る国史見在社
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