4世紀頃の前方後円墳が本殿に隣接する弘文天皇伝説残る古社
[住所]千葉県君津市俵田1452
[電話]0439-56-1697
白山神社(はくさんじんじゃ)は、千葉県君津市俵田にある神社。近代社格では郷社。御祭神は大友皇子と菊理比売神。御朱印の有無は不明。
社伝によれば、壬申の乱で敗れた大友皇子(弘文天皇)が東国に逃れこの地で自刃したとされ、その後天武天皇13年(684年)に勅使が下向し社殿を造営、皇子を祀り田原神と称したと伝えられている。
「田原」が現在の地名「俵田」の由来となったともされ、かつては田原神社と称していたことから、『日本三代実録』元慶8年(884年)に従五位下の神階が授けられた、武蔵国田原神に比定されている国史見在社。
拝殿には江戸時代中期の神祇伯雅寿王の文政12年(1829年)の筆による「田原神社」の額が掲げられており、明治維新後に社名を白山神社と改め、明治6年(1873年)郷社に列した。
本殿に接して全長90メートルを測る白山神社古墳(県指定史跡)があり皇子の墓との言い伝えがあるが、実際には古墳は古墳時代前期(4世紀頃)の前方後円墳で、皇子の墓は古墳の奥にあるという。
創祀はこの古墳の祭祀から発展した可能性もあり、4世紀ごろまでさかのぼる可能性がある。その後、当地に根強かった弘文天皇伝承が結び付いたものか。
【ご利益】
所願成就
【関連記事】
・国史見在社 - 『延喜式』に先行する六国史に記載のある神社で、式外社を指すことが多い
・千葉県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、千葉県に鎮座している神社の一覧
[電話]0439-56-1697
白山神社(はくさんじんじゃ)は、千葉県君津市俵田にある神社。近代社格では郷社。御祭神は大友皇子と菊理比売神。御朱印の有無は不明。
社伝によれば、壬申の乱で敗れた大友皇子(弘文天皇)が東国に逃れこの地で自刃したとされ、その後天武天皇13年(684年)に勅使が下向し社殿を造営、皇子を祀り田原神と称したと伝えられている。
「田原」が現在の地名「俵田」の由来となったともされ、かつては田原神社と称していたことから、『日本三代実録』元慶8年(884年)に従五位下の神階が授けられた、武蔵国田原神に比定されている国史見在社。
拝殿には江戸時代中期の神祇伯雅寿王の文政12年(1829年)の筆による「田原神社」の額が掲げられており、明治維新後に社名を白山神社と改め、明治6年(1873年)郷社に列した。
本殿に接して全長90メートルを測る白山神社古墳(県指定史跡)があり皇子の墓との言い伝えがあるが、実際には古墳は古墳時代前期(4世紀頃)の前方後円墳で、皇子の墓は古墳の奥にあるという。
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