おみくじの故郷「女子道社」、式内社と国史見在社の論社が合併して創建
[住所]山口県周南市鹿野上2898
[電話]0834-68-3860

二所山田神社(にしょやまだじんじゃ)は、山口県周南市鹿野にある神社。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 山陽道神 周防国 都濃郡「二俣神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。

明治時代に二所神社と山田神社が合併してできた神社で、旧二所神社の御祭神は八千矛神大物主神、旧山田神社の御祭神は天照大神豊受大神である。

当社が設立した月刊新聞社「女子道社」は、日本全国の社寺で授与されるおみくじの6-7割を製造している。おみくじの自動頒布機も考案。おみくじの故郷とも呼ばれ、現在も手作業で制作を進めている。

二所神社は、旧称を二所大明神といい、社伝によればは昌泰2年(899年)の創建。弘長2年(1262年)の社録に「二所二俣神社」と記載があり、式内論社。

他に市内長穂の周方神社、大向の二俣神社が論社になっている。

大内氏が元亨元年(1321年)に社房を建立し、毛利氏は御祈祷所に指定した。

山田神社は、旧称を山田権前社という。伊勢国山田(に鎮座するのは伊勢の神宮(伊勢神宮)の豊受大神宮(外宮))から勧請を受けて創建されたと伝えられる。

『文徳実録』元慶2年6月23日条に「周防国正六位上赤田神山田神并授従五位下」と記載される国史見在社の可能性がある。この「山田神」については、大島郡周防大島町の山田神社も候補。

明治初年に二所神社は郷社に、山田神社は村社に列格した。明治40年(1907年)に両社が合併し、現社名になった。

明治時代の当社宮司・宮本重胤は、女性の自立のための全国組織「大日本敬神婦人会」を設立。明治39年(1906年)にその機関誌『女子道』を発刊し、その資金源としておみくじの製造が開始された。

【ご利益】
勝運、開運、縁結び・良縁
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