四宮神社とも、大津祭の曳山行事で知られる平安初期創建の古社
[住所]滋賀県大津市京町3-3-36
[電話]077-522-3593
天孫神社(てんそんじんじゃ)は、滋賀県大津市京町にある神社。近代社格では県社。四宮神社とも。御祭神は彦火火出見尊・国常立尊・大己貴命・仲哀天皇。参拝すれば、御朱印を頂ける。
社号はもと四宮神社、あるいは天孫四宮大明神と称され、現在も一般に四ノ宮と呼ばれている。下記のように諸説ある(一例)。
・四柱の神を祀るため
・主祭神格の山幸彦が天照大神から数えて四代目であるから
・近江国四宮だから(一宮・建部大社、二宮・日吉大社、三宮・多賀大社)
延暦年間(782年-806年)の創祀と伝えられる。大同3年(808年)、平城天皇が近江に行幸の際、当社を行在所として禊祓したと伝わる。
『日本三代実録』に「元慶6年(882年)十月九日戊申、授近江国正六位上海南神従五位下」とあり、この「海南神」が当社のこととされる。国史見在社である。
建久年間(1190年-1198年)には近江守護佐々木定綱が社殿造営、新田の奉納があった。『関東住還記』には、弘長2年(1262年)のこととして「志賀浦四宮馬場」が記載されている。
最初、大津の南方吾妻川の堤元の四の宮町(現 伊勢屋町北方の地)に鎮座。文明年間(1469年-1486年)に洪水のため破損し、琵琶湖辺に遷座。武蔵野関の神社と称したことも。
文明年間には現在地に遷座したとも言われるが、天文年間(1532年-1554年)、また洪水のため四座すべてが破損したことにより、再び中寺野へ、現在の今東浦字蟹川に遷座したとも伝わる。
元亀年間(1570年-1572年)、栗太郡青地の城主青地伊予守より所領の寄進があり、豊臣秀吉が大津城築城の際にその余材をもって当社を修復したという記録がある。大津城下の鎮護神、全町民の産土神として定着した。
当社は日吉山王の信仰と深い関わりがあり、山王祭には当社と日吉大社の間に大榊の神事がある。
例祭は旧暦9月10日だったが、新暦10月10日となり、平成11年(1999年)からは10月10日、その後体育の日が第2月曜日となったため、体育の日の前日が本祭となった。
大津祭、古くは四宮祭礼、四宮祭とも。日吉大社の山王祭、建部大社の船幸祭とともに大津三大祭の一つで、山王祭、長浜八幡宮の曳山祭とともに湖国三大祭の一つ。
本祭では13基の曳山(山車)が市内を巡行する。幕末までは曳山は14基あった。大津祭の起源は、慶長年間(1596年-1615年)まで遡れ、寛永年間(1624年-1645年)以降およそ150年ほどかけて14基の曳山が造られていったという。
末社に、天神社・日若神社・八幡神社・稲荷神社・輻輳神社がある。
【ご利益】
安産、交通安全、家内安全、学業成就、厄除け(公式HP)

【関連記事】
・国史見在社 - 『延喜式』に先行する六国史に記載のある神社で、式外社を指すことが多い
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天孫神社(てんそんじんじゃ)は、滋賀県大津市京町にある神社。近代社格では県社。四宮神社とも。御祭神は彦火火出見尊・国常立尊・大己貴命・仲哀天皇。参拝すれば、御朱印を頂ける。
社号はもと四宮神社、あるいは天孫四宮大明神と称され、現在も一般に四ノ宮と呼ばれている。下記のように諸説ある(一例)。
・四柱の神を祀るため
・主祭神格の山幸彦が天照大神から数えて四代目であるから
・近江国四宮だから(一宮・建部大社、二宮・日吉大社、三宮・多賀大社)
延暦年間(782年-806年)の創祀と伝えられる。大同3年(808年)、平城天皇が近江に行幸の際、当社を行在所として禊祓したと伝わる。
『日本三代実録』に「元慶6年(882年)十月九日戊申、授近江国正六位上海南神従五位下」とあり、この「海南神」が当社のこととされる。国史見在社である。
建久年間(1190年-1198年)には近江守護佐々木定綱が社殿造営、新田の奉納があった。『関東住還記』には、弘長2年(1262年)のこととして「志賀浦四宮馬場」が記載されている。
最初、大津の南方吾妻川の堤元の四の宮町(現 伊勢屋町北方の地)に鎮座。文明年間(1469年-1486年)に洪水のため破損し、琵琶湖辺に遷座。武蔵野関の神社と称したことも。
文明年間には現在地に遷座したとも言われるが、天文年間(1532年-1554年)、また洪水のため四座すべてが破損したことにより、再び中寺野へ、現在の今東浦字蟹川に遷座したとも伝わる。
元亀年間(1570年-1572年)、栗太郡青地の城主青地伊予守より所領の寄進があり、豊臣秀吉が大津城築城の際にその余材をもって当社を修復したという記録がある。大津城下の鎮護神、全町民の産土神として定着した。
当社は日吉山王の信仰と深い関わりがあり、山王祭には当社と日吉大社の間に大榊の神事がある。
例祭は旧暦9月10日だったが、新暦10月10日となり、平成11年(1999年)からは10月10日、その後体育の日が第2月曜日となったため、体育の日の前日が本祭となった。
大津祭、古くは四宮祭礼、四宮祭とも。日吉大社の山王祭、建部大社の船幸祭とともに大津三大祭の一つで、山王祭、長浜八幡宮の曳山祭とともに湖国三大祭の一つ。
本祭では13基の曳山(山車)が市内を巡行する。幕末までは曳山は14基あった。大津祭の起源は、慶長年間(1596年-1615年)まで遡れ、寛永年間(1624年-1645年)以降およそ150年ほどかけて14基の曳山が造られていったという。
末社に、天神社・日若神社・八幡神社・稲荷神社・輻輳神社がある。
【ご利益】
安産、交通安全、家内安全、学業成就、厄除け(公式HP)

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