少女8人が鍋を被って練り歩く鍋冠祭で知られる、継体期からの古社
[住所]滋賀県米原市朝妻筑摩1987
[電話]0749-52-3734
筑摩神社(ちくまじんじゃ)は、滋賀県米原市にある神社。近代社格では県社。御朱印の有無は不明。日本三大奇祭の一つとされる鍋冠祭(なべかぶりまつり)が著名で、市の無形民俗文化財に指定されている。
主祭神は御食津神。大歳神、倉稲魂神、大市姫神の三柱を配祀する。いずれも食物に関係のある神、とされるが、スサノヲの妻の一人(大市姫神)と、その子らとも理解される。
社伝によれば、第6代孝安天皇28年に創祀され、第26代継体天皇が越前から上京する際に、当社のそばに行宮を設け、社殿を再建して神域を定めたとされている。
鎮座地は桓武天皇の時代に内裏大膳職の御厨が置かれた地で、その鎮守として御食津神を祀ったものとも推定されている。なお、御厨は延久2年(1070年)に廃された。
『文徳天皇実録』3月甲戌(8日)条において、仁寿2年(852年)に従五位下の神階を授けられているが、『延喜式神名帳』への記載はない。式外社だが、国史見在社。
社殿は順次整備され、神域は東は内湖より西は湖浜を限り、南は磯、北は朝妻に至り、神境の規模を拡大つつし、広大な神領を有したという。
本社別当に6ヶ寺あり、僧徒は年中社頭に参籠し、経文を読み祈禱をしている。延暦寺の衆徒との寺領の奪い合いや平清盛による社領の没収などが記録として残っている。
その後、後鳥羽天皇や源頼朝からも神領が寄進され、寛元3年(1245年)には最高位の正一位の神階が授けられた。室町時代の応仁の乱などを経て一度荒廃するものの、江戸時代になってから彦根藩主井伊氏の崇敬を受けた。
明治16年(1883年)に郷社に列し、大正4年(1915年)には県社に昇格、同年に神饌幣帛料供進社の指定を受けた。
5月3日の春の大祭では、御旅所から神社までの約1キロを総勢200人がねり歩く。その行列の中に狩衣姿の数え年8歳前後の少女8人が鍋を被って加わることから、「鍋冠祭」とも呼ばれ、日本三大奇祭の一つとされることがある。
社伝によれば、桓武天皇の時代(8世紀)以来1200年の伝統がある。当社の御祭神が全て食物に関係のある神であり、神前に供物とともに近江鍋と呼ばれる土鍋を贖物したことと関係があるとされる。
過去には鍋冠りは少女ではなく妙齢の女性の役目だった。鍋冠りの女性はそれまでに付き合った男の数だけ鍋釜を冠るという不文律があった。
平安時代の歌物語『伊勢物語』にも「近江なる筑摩の祭とくせなむつれなき人の鍋の数見む」(第120段)と詠われるほど有名なルールだった。
江戸時代中期に、わざと少ない数の鍋をかぶった女性に神罰が下り、かぶっていた鍋を落とされ、笑いものにされ、お宮の池に飛び込み自殺してしまうという事件が発生。
事件の顛末を聞いた藩主の井伊氏が鍋冠りを禁止したが、嘆願の結果、7・8歳の幼児による行列ならば、と許可され今日の姿となったという。
【ご利益】
五穀豊穣・商売繁盛、縁結び、恋愛運上昇、諸願成就
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[電話]0749-52-3734
筑摩神社(ちくまじんじゃ)は、滋賀県米原市にある神社。近代社格では県社。御朱印の有無は不明。日本三大奇祭の一つとされる鍋冠祭(なべかぶりまつり)が著名で、市の無形民俗文化財に指定されている。
主祭神は御食津神。大歳神、倉稲魂神、大市姫神の三柱を配祀する。いずれも食物に関係のある神、とされるが、スサノヲの妻の一人(大市姫神)と、その子らとも理解される。
社伝によれば、第6代孝安天皇28年に創祀され、第26代継体天皇が越前から上京する際に、当社のそばに行宮を設け、社殿を再建して神域を定めたとされている。
鎮座地は桓武天皇の時代に内裏大膳職の御厨が置かれた地で、その鎮守として御食津神を祀ったものとも推定されている。なお、御厨は延久2年(1070年)に廃された。
『文徳天皇実録』3月甲戌(8日)条において、仁寿2年(852年)に従五位下の神階を授けられているが、『延喜式神名帳』への記載はない。式外社だが、国史見在社。
社殿は順次整備され、神域は東は内湖より西は湖浜を限り、南は磯、北は朝妻に至り、神境の規模を拡大つつし、広大な神領を有したという。
本社別当に6ヶ寺あり、僧徒は年中社頭に参籠し、経文を読み祈禱をしている。延暦寺の衆徒との寺領の奪い合いや平清盛による社領の没収などが記録として残っている。
その後、後鳥羽天皇や源頼朝からも神領が寄進され、寛元3年(1245年)には最高位の正一位の神階が授けられた。室町時代の応仁の乱などを経て一度荒廃するものの、江戸時代になってから彦根藩主井伊氏の崇敬を受けた。
明治16年(1883年)に郷社に列し、大正4年(1915年)には県社に昇格、同年に神饌幣帛料供進社の指定を受けた。
5月3日の春の大祭では、御旅所から神社までの約1キロを総勢200人がねり歩く。その行列の中に狩衣姿の数え年8歳前後の少女8人が鍋を被って加わることから、「鍋冠祭」とも呼ばれ、日本三大奇祭の一つとされることがある。
社伝によれば、桓武天皇の時代(8世紀)以来1200年の伝統がある。当社の御祭神が全て食物に関係のある神であり、神前に供物とともに近江鍋と呼ばれる土鍋を贖物したことと関係があるとされる。
過去には鍋冠りは少女ではなく妙齢の女性の役目だった。鍋冠りの女性はそれまでに付き合った男の数だけ鍋釜を冠るという不文律があった。
平安時代の歌物語『伊勢物語』にも「近江なる筑摩の祭とくせなむつれなき人の鍋の数見む」(第120段)と詠われるほど有名なルールだった。
江戸時代中期に、わざと少ない数の鍋をかぶった女性に神罰が下り、かぶっていた鍋を落とされ、笑いものにされ、お宮の池に飛び込み自殺してしまうという事件が発生。
事件の顛末を聞いた藩主の井伊氏が鍋冠りを禁止したが、嘆願の結果、7・8歳の幼児による行列ならば、と許可され今日の姿となったという。
【ご利益】
五穀豊穣・商売繁盛、縁結び、恋愛運上昇、諸願成就
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