紫尾山山頂の「上宮」に対する「下宮」、修験道の聖地の一つ
[住所]鹿児島県薩摩郡さつま町紫尾2164
[電話]0996-53-1111 - さつま町役場鶴田支所

紫尾神社(しびじんじゃ)は、鹿児島県薩摩郡さつま町紫尾にある神社。近代社格では県社。拝殿の下に紫尾温泉の泉源が湧く。御朱印の有無は不明。

御祭神は、瓊々杵命日子穂々手見命鵜草葺不合命。三面の大鏡を御神体とするが、それは鎌倉時代、源実朝が承元年間(1207年-1211年)に奉納したものと伝える。

社伝に、第8代孝元天皇の時代に「紫尾山」と号して創祀され、第29代欽明天皇の時代に空覚上人が上宮からの眺めや瑞兆から判断して当地に社殿を建立、「紫尾山権現」と称したという。

紫尾三所権現とも呼ばれ、その際は、伊弉冉尊、事解男命、速玉男命の三座を祀り、紀州熊野本宮大社と同じであったとも伝わる。

貞観8年(866年)に正六位上から従五位下へ昇叙された薩摩国「紫美神」に充てられるが、これを紫尾山の対麓に鎮座する出水市高尾野町の同名神社に比定する説もある。

紫尾山は当社の裏山に当たり、その頂上を「上宮」、当社を「下宮」と呼び、当社から寛永年間(1624年-1645年)に出水市高尾野町への勧請が行われた可能性があり、国史見在社は紫尾山山頂か、あるいは当社と考えるのが妥当なのかもしれない。

なお、紫尾山山頂の「上宮」は動かないとしても、「下宮」は薩摩郡さつま町柏原の古紫尾神社で、当社は「中宮」とも位置付けられる場合がある。

当社は中世に西国高野山の異名をとった「紫尾山祁答院神興寺」という供僧の坊が置かれ、修験者が群参し、修験道の聖地の一つとなった。

古くから祁答院七ヶ郷(山崎、大村、黒木、佐志、藺牟田、宮之城、鶴田)の総社として崇敬され、毎年9月29日には奉幣使が巡拝し、鉱山関係者の参拝が多数あり、「石童丸物語」や「除福伝説」が伝わる。

鎌倉、室町の両幕府に崇敬されたといい、江戸時代には薩摩藩主島津氏からも尊崇され、この地域の鎮守神として社領の寄付や社殿の修復が行われた。

また、17世紀中頃の寛永末年に神託によって永野金山が発見されたことで有名になった。交通不便な場所に鎮座しているが、現在でも初詣には1万人ぐらいの人出で賑わう。

例祭は10月19日。11月23日の新嘗祭では、郷土芸能七種として幣踊、金山踊、棒踊、太鼓踊、新地節踊などが奉納される。

境内に太宰府天満宮の御分霊を祀り、紫尾天神と称する。なお、町指定文化財として、建武元年(1334年)銘の渋谷氏の方柱石塔婆、空覚塔(切開殿)がある。

なお、鹿児島県神社庁によれば、当社や出水市高尾野町、古紫尾神社の他、少なくとも下記の同名神社がある。

・紫尾神社 - 出水市文化町297
・紫尾神社 - 薩摩川内市田海町1497
・紫尾神社 - 薩摩川内市東郷町鳥丸2143
・紫尾神社 - 薩摩川内市東郷町斧淵2050
・紫尾神社 - 薩摩郡さつま町白男川1521

【ご利益】
鉱山・宝飾、温泉・身体壮健・病気平癒
紫尾神社(さつま町) - 紫尾山山頂の「上宮」に対する「下宮」、修験道の聖地の一つ
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