天孫降臨の候補地の一つ、神話にちなむ周辺史跡、以前の秋祭りでは相撲も
[住所]宮崎県西臼杵郡高千穂町三田井713
[電話]0982-72-2413

槵触神社(くしふるじんじゃ、くし触神社/くしふる神社)は、宮崎県西臼杵郡高千穂町にある神社。近代社格では県社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

古くは「櫛ひ大明神」や「くしふる大明神」と称せられ、また「二上神社(ふたかみじんじゃ)」「高智保皇神社」とも呼ばれ、明治4年(1871年)に二上神社に改称したが、明治43年(1910年)に現社号に復した。

なお、「槵」が難解な漢字であることから、平仮名で「くしふる神社」と書かれることもある。

創祀の事情は不詳であるが、槵触山の中腹に鎮座し、同山を神体山とするため、長く本殿を持たなかったという。槵触山は日本神話の天孫降臨の行われた聖蹟と伝え、

・『日本書紀』天孫降臨段第1の一書に見える「高千穂の槵触之峯(くじふるのたけ)」
・『日本書紀』天孫降臨段第2の一書の「槵日高千穂之峯(くしひのたかちほのたけ)」
・『古事記』の「筑紫の日向の高千穂之久士布流多気(くじふるたけ)」
・『日向国風土記』逸文(『釈日本紀』所引)の「高千穂の二上の峯」

以上に比定され、古来霧島山とともに有力な天孫降臨地とされ、霧島神社と並び称された。

現在は本殿を構えて天津日子番邇々杵命(あまつひこほのににぎのみこと)を主祭神として祀り、相殿に天児屋根命布都恕志命布刀玉命建御雷命を祀っている。

当社は『延喜式神名帳』には見えないが、国史に見える「高智保神(高智保皇神)」、つまり国史見在社とすれば、下記にも連結していく可能性がある。

・『八幡宇佐宮御託宣集』巻2に、「高知尾(明神)」は初代神武天皇の御子である神八井命の別名で、「阿蘇(大明神、現 阿蘇神社)」の兄(父)神である
・『平家物語』巻8緒環段に、豊後緒方氏の祖神を「日向国にあがめられ給へる高知尾の明神」とあり、その御神体は「大蛇」であるとしている

古来より高千穂神社の春祭りに対して、当社は秋祭りを行うなど、同社と密接な関係を持つとともに、社殿を持たぬながらも高千穂郷八十八社の一つに数えられて、旧三田井村々民から崇められてきた。しかし、三田井の領主であった三田井氏(豊後大神氏の後裔)の滅亡とともに荒廃したと伝える。

元禄7年(1694年)に社殿建立を熱望した高千穂神社宮司が延岡藩主三浦明敬の援助を仰ぎ、高千穂18郷の郷民の協力を得、初めて社殿が建立された。また、藩主内藤氏も祭礼に代参を派遣して神事料を奉納するなどしている。

明治4年(1871年)に県社に列せられ、戦後は神社本庁に属している。

例祭は10月16日。上述のように高千穂神社の春の祭りに対する秋の感謝祭で、年占の意味を込めた神事相撲が奉納される。かつては九州一円から力士が集まり、高千穂方と来訪方に別れて技を競ったという。

周辺史跡として、当社と高千穂神社の春秋の例祭で御旅所として神輿が安置され、神楽が奉納される天真名井、天孫降臨後、八百万の神々が集まり高天原を遥拝したと伝わる高天原遥拝所、神武天皇と三人の兄の降誕地とされる四皇子峰、木花開耶姫が出産の苦しさに抱き着いたなどの伝承がある夜泣き石がある。

高千穂神社、荒立神社との高千穂の三社参りの一社としても知られる。

【ご利益】
諸願成就、文武両道、子宝・安産、子孫繁栄
槵触神社 - 天孫降臨の候補地の一つ、神話にちなむ周辺史跡、以前の秋祭りでは相撲も
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