山の手にあるが海神祀る、鹿児島三社で、桜島囲む一社の古社
[住所]鹿児島県鹿児島市草牟田2-58-3
[電話]099-222-9380

鹿児島神社(かごしまじんじゃ)は、鹿児島県鹿児島市草牟田にある神社。近代社格では県社。参拝すれば、「宇治瀬明神」などとある御朱印を頂ける。

鹿児島縣護國神社(鹿児島県護国神社)の隣りにあり、旧名は宇治瀬神社、あるいは宇治氏神社などとも。御祭神は、豊玉彦命天津日高彦火々出見尊豊玉姫命豊受大神の四柱。前三柱は、『古事記』でもお馴染みの、山幸彦・トヨタマ夫婦と、トヨタマ父で、海神。

また、「開聞十八社の其一所」で、「祭る所は龍神たるべく、二月の祭より宇都瀬といい、十月より宇津佐とい」ったという。

創建年代は不明であるが、『日本三代実録』貞観2年(860年)3月20日条に従五位下から従五位上に昇叙された薩摩国「鹿児島神」に比定されている国史見在社

古来より上下から尊崇されたが、応永年間(1394年-1428年)に島津元久によって社殿が建立されるなど島津氏による崇敬も篤かった。

藩政時代には家久以下代々の薩摩藩主から一之宮神社川上天満宮(三之宮)と並ぶ鹿児島三社(当社は二ノ宮)と称され、家督を相続するとまず初めに当社に参詣する例とされ、安政6年(1859年)には正一位の位記が授けられた。明治5年(1872年)に県社に列した。

旧名の「宇治(氏)瀬」は門前を流れる甲突川の流れの早さからきているとも言い、また、鹿児島湾に浮かぶ「神瀬の小島」なる島に鎮座する神社が移転したとも言う。山手にありながら「海の神」として崇められてきたのもこの伝承を裏付けると考えられる。

また、『三国名勝図会』によると「甲突川」という名前自体が、当社の例祭の月を「神月(こうつき)」と称したことに由来し、「神月川」から現在の名称に変わったという説もある。

垂水市にも同名神社があり、霧島市の鹿児島神宮も古名を「鹿児島神社」という。三つの鹿児島神社、鹿児島神社三社を直線で結ぶと桜島を囲む二等辺三角形になり、これらの神社は元々は桜島(古くは鹿児島と呼ばれたとする説がある)を御神体として祀る神社だったとする説もある。

かつては2月朔から18日まで祭りが行われ、その間は領主、藩主といえども他国は勿論、他所へ赴くことも禁じられていたという。

例祭は2月18日、10月18日。藩政時代より、当社神職に伝えられる田之神舞・宮毘舞・鬼人舞・劍舞・薙刀舞の五つの神楽舞があり、今も当社の宮司により奉仕される。

【ご利益】
海上・交通安全、縁結び、家内安全、子宝
鹿児島神社(鹿児島市) - 山の手にあるが海神祀る、鹿児島三社で、桜島囲む一社の古社
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