加波山三社の中宮、摂社たばこ神社の「きせる祭」や山伏による禅定祭
[住所]茨城県桜川市真壁町長岡891
[電話]0296-55-0089
加波山神社(かばさんじんじゃ)は、茨城県にある神社で、本殿・拝殿が石岡市の加波山に、八郷拝殿が石岡市大塚に、真壁拝殿が桜川市真壁町にある。近代社格では郷社。参拝すれば、当社の他、境内社の普明神社のものも含め、御朱印を頂ける。
筑波山などとともに連峰を形成する加波山に対する加波山信仰に基づく神社で、加波山山頂からやや北に隔たった尾根筋に本殿が鎮座し、更にその北方に拝殿がある。また東西の両山麓にそれぞれ遥拝殿としての里宮がある。
鎮座地には近接して加波山本宮(加波山三枝祇神社本宮、加波山神社本宮)と親宮(三枝祇神社親宮)も鎮座し、この両宮と当社を併せて加波山権現、あるいは加波山三社と総称され、両宮に対して中宮(ちゅうぐう、加波山神社中宮・加波山中宮)、または中天宮(ちゅうてんぐう)とも称す。
御祭神は、国常立尊・伊邪那岐尊・伊邪那美尊、他に加波山山中に737神を祀る。
社伝に、第12代景行天皇の時代に日本武尊が現在の東北地方を平定するに際して加波山に登拝、神託により天御中主神、日の神、月の神の三神を祀り、社殿を建てたのが創祀。
延暦20年(800年)、征夷大将軍坂上田村麻呂も東北地方平定に際して当社へ戦勝を祈願し、大同元年(806年)に社殿を寄進、当地へ訪れた弘法大師によって「加波山大権現」と号されたとも。
加波山権現は貞観17年(876年)に従五位下を授けられた国史見在社の常陸国三枝祇神に比定されているが、「三枝神社」と識された棟札が残されていることから、三宮中特に当社がそれであるとする説もある。
加波山権現は現在、当社と本宮、親宮の三神社に分かれ、遅くとも近世にはこの形態であったが、社説に依ればこれは和歌山県熊野三山の御祭神が勧請されて本宮・親宮の両宮が新たに創建されたためであるという。
近世以降は文殊院を別当とする宮寺一体の形態を採り、大塚村(現 石岡市大塚)に祀られていた神社仏閣のほとんどの別当職を兼帯するとともに、同村の滅罪寺(葬儀を行う寺)として宗教的中心ともされた。
併せて古くから加波山を修行場とした修験者(山伏)を宮に所属させて呪術や加持祈祷を行う「山先達(やませんだつ)」として組織化していた。また幕府から朱印地5石を与えられ、文化年間(1804年-1818年)に本社再建のための講が結成された。
明治元年(1868年)に神仏判然令が出されると一旦神社となったが、これをめぐって訴訟が起こったため、翌2年5月に改めて神社と寺院(現 文殊院)を分離し、同6年(1873年)に郷社に列格、現社号とした。
明治11年(1878年)に参拝者の便宜を図って東麓の八郷町(現 石岡市)大塚に拝殿を建立(八郷拝殿)した。平成16年(2004年)には西麓の旧真壁町(現 桜川市)長岡に新たな里宮(真壁拝殿)を建立した。例祭は4月8日。
毎年7月1日に始まり、8月1日の山開祭から山閉めの8月31日までの1ヶ月間、関東や東北地方の加波山講(禅定講)の信者や一般の崇敬者が「行者」となって山中を抖擻する禅定祭がある。
行者は白衣に草鞋を履いて金剛杖を突き、山先達の案内で「六根清浄」と唱えながら、山内に設定された700余箇所の「禅定場」を巡拝する。
摂社にたばこ神社がある。草野姫命を主祭神とし、八雷神(大雷神、火雷神、黒雷神、拆雷神、若雷神、土雷神、鳴雷神、伏雷神)と大己貴命を配祀する。
このたばこ神社の祭礼である「きせる祭」が9月5日に斎行され、有名。「たばこ祭」とも。タバコ葉の収穫を感謝し、豊作を祈る。
真壁拝殿で大煙管を受けて刻み煙草を詰め、檜の火鑽臼と杵で得た火を着火(火切りの儀式)、神職を先頭にほら貝、鉦、太鼓の音頭に合わせ、「ヨイショ、ヨイショ」の掛声とともに大煙管を担いで加波山山頂付近のたばこ神社へ向かう。
また、末社に加波山普明神社がある。昭和39年(1964年)の創建。御祭神は明治時代に活躍し、「日本最後の仙人」と称される国安普明。本殿は加波山の東中腹(石岡市大塚)、拝殿は加波山の西麓(桜川市長岡)に鎮座する。
恋瀬神社(御祭神:天照大神)もある。
【ご利益】
村内・家内安全、嵐等の諸災除け、農漁業等の殖産興業、子授け・安産(公式HP)

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・加波山三社とは? - 国史見在社・加波山権現、筑波山の北・加波山を信仰対象とする三社
・国史見在社 - 『延喜式』に先行する六国史に記載のある神社で、式外社を指すことが多い
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[電話]0296-55-0089
加波山神社(かばさんじんじゃ)は、茨城県にある神社で、本殿・拝殿が石岡市の加波山に、八郷拝殿が石岡市大塚に、真壁拝殿が桜川市真壁町にある。近代社格では郷社。参拝すれば、当社の他、境内社の普明神社のものも含め、御朱印を頂ける。
筑波山などとともに連峰を形成する加波山に対する加波山信仰に基づく神社で、加波山山頂からやや北に隔たった尾根筋に本殿が鎮座し、更にその北方に拝殿がある。また東西の両山麓にそれぞれ遥拝殿としての里宮がある。
鎮座地には近接して加波山本宮(加波山三枝祇神社本宮、加波山神社本宮)と親宮(三枝祇神社親宮)も鎮座し、この両宮と当社を併せて加波山権現、あるいは加波山三社と総称され、両宮に対して中宮(ちゅうぐう、加波山神社中宮・加波山中宮)、または中天宮(ちゅうてんぐう)とも称す。
御祭神は、国常立尊・伊邪那岐尊・伊邪那美尊、他に加波山山中に737神を祀る。
社伝に、第12代景行天皇の時代に日本武尊が現在の東北地方を平定するに際して加波山に登拝、神託により天御中主神、日の神、月の神の三神を祀り、社殿を建てたのが創祀。
延暦20年(800年)、征夷大将軍坂上田村麻呂も東北地方平定に際して当社へ戦勝を祈願し、大同元年(806年)に社殿を寄進、当地へ訪れた弘法大師によって「加波山大権現」と号されたとも。
加波山権現は貞観17年(876年)に従五位下を授けられた国史見在社の常陸国三枝祇神に比定されているが、「三枝神社」と識された棟札が残されていることから、三宮中特に当社がそれであるとする説もある。
加波山権現は現在、当社と本宮、親宮の三神社に分かれ、遅くとも近世にはこの形態であったが、社説に依ればこれは和歌山県熊野三山の御祭神が勧請されて本宮・親宮の両宮が新たに創建されたためであるという。
近世以降は文殊院を別当とする宮寺一体の形態を採り、大塚村(現 石岡市大塚)に祀られていた神社仏閣のほとんどの別当職を兼帯するとともに、同村の滅罪寺(葬儀を行う寺)として宗教的中心ともされた。
併せて古くから加波山を修行場とした修験者(山伏)を宮に所属させて呪術や加持祈祷を行う「山先達(やませんだつ)」として組織化していた。また幕府から朱印地5石を与えられ、文化年間(1804年-1818年)に本社再建のための講が結成された。
明治元年(1868年)に神仏判然令が出されると一旦神社となったが、これをめぐって訴訟が起こったため、翌2年5月に改めて神社と寺院(現 文殊院)を分離し、同6年(1873年)に郷社に列格、現社号とした。
明治11年(1878年)に参拝者の便宜を図って東麓の八郷町(現 石岡市)大塚に拝殿を建立(八郷拝殿)した。平成16年(2004年)には西麓の旧真壁町(現 桜川市)長岡に新たな里宮(真壁拝殿)を建立した。例祭は4月8日。
毎年7月1日に始まり、8月1日の山開祭から山閉めの8月31日までの1ヶ月間、関東や東北地方の加波山講(禅定講)の信者や一般の崇敬者が「行者」となって山中を抖擻する禅定祭がある。
行者は白衣に草鞋を履いて金剛杖を突き、山先達の案内で「六根清浄」と唱えながら、山内に設定された700余箇所の「禅定場」を巡拝する。
摂社にたばこ神社がある。草野姫命を主祭神とし、八雷神(大雷神、火雷神、黒雷神、拆雷神、若雷神、土雷神、鳴雷神、伏雷神)と大己貴命を配祀する。
このたばこ神社の祭礼である「きせる祭」が9月5日に斎行され、有名。「たばこ祭」とも。タバコ葉の収穫を感謝し、豊作を祈る。
真壁拝殿で大煙管を受けて刻み煙草を詰め、檜の火鑽臼と杵で得た火を着火(火切りの儀式)、神職を先頭にほら貝、鉦、太鼓の音頭に合わせ、「ヨイショ、ヨイショ」の掛声とともに大煙管を担いで加波山山頂付近のたばこ神社へ向かう。
また、末社に加波山普明神社がある。昭和39年(1964年)の創建。御祭神は明治時代に活躍し、「日本最後の仙人」と称される国安普明。本殿は加波山の東中腹(石岡市大塚)、拝殿は加波山の西麓(桜川市長岡)に鎮座する。
恋瀬神社(御祭神:天照大神)もある。
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