加波山三社の一社、イザナミと八雷神が顕現、御祭神として祀る
[住所]茨城県桜川市真壁町長岡809
[電話]0296-55-1012

加波山三枝祇神社本宮(かばさんさえなづみじんじゃほんぐう)は、茨城県桜川市真壁町にある神社。近代社格では村社。加波山神社本宮とも、また「関東にて東の方位除社」。参拝すれば、御朱印を頂ける。

当社(本宮)は、三枝祇神社親宮(親宮)とともに加波山三枝祇神社を構成する。また、加波山にはもう一社、加波山神社(中宮)がある。いわゆる加波山三社。親宮は本宮の管理下にあるとされるが、茨城県神社庁の神社台帳では別個に登録がある。

本宮の本殿は山頂に鎮座し、その少し南側に拝殿がある。山頂より尾根筋北に200メートル程隔てて親宮の本殿が鎮座し、更にその北方に親宮の拝殿がある。両宮の里宮は加波山西麓の真壁町長岡にある。

本宮の御祭神は、伊弉冊命、速玉男命、事解男命。雷神(イザナミの体に生じた、大雷神火雷神黒雷神拆雷神若雷神土雷神鳴雷神伏雷神の八雷神)を配祀する。

第12代景行天皇41年、日本武尊が東夷を平定するに際して加波山に登拝、神託により社殿を建てたのが創祀とも、茨城国造であった三枝部連がその祖神を祀ったものであるともいわれる。

また神護景雲(768年)10月に黄泉国から伊弉冊命以下11柱が顕現し、大同年間(806年-810年)に徳一和尚が登拝して薬師・弥陀・釈迦の三尊を本地仏と定めて崇めたともいう。熊野三山の影響も考えられるか。

加波山権現は、貞観17年(876年)に従五位下を授けられた国史見在社の常陸国三枝祇神に比定される。社伝によれば天慶2年(939年)の天慶の乱の兵火に罹り、天文15年(1546年)に真壁氏によって再建されたという。

加波山権現は現在、本宮、親宮、中宮に分かれているが、この形態は近世・江戸期にまでは遡れるという。

19世紀後葉の明治初年まで、本宮は正幢院、親宮は円鏡寺と称し、宮寺一体の真言宗寺院で、加波山西麓の旧真壁町(現 桜川市)周辺に信仰圏を有する常陸国有数の修験道の霊場であった。

明治元年(1868年)に神仏判然令が出されると、両寺院ともに還俗して神職となり、寺院は廃寺となった。本宮は旧正幢院の建物をそのまま里宮に転用して安定した歩みを示す。加波山中に設けられた737所の禅定場を末社とする。

神仏分離後から20世紀前葉の大正年間(1912年-1926年)までトラブルが続いた親宮を管理下に収め、親宮の里宮を廃して本宮の里宮を兼用する形として、現在に至る。

例祭は4月8日。1月7日から例祭日に至る期間に御分霊渡御祭(加波山神輿渡御)が行われる。1月7日に出御する神輿が、真壁町を中心に下野、下総方面まで巡幸し、巡幸先の部落では若衆を中心とする信者によって巡送される。

神輿には「春祈祷」と称して神官または山先達がつき、特に山先達は巡幸先で加持祈祷を行なって村中安全の辻札や家内安全の神札を配布し、あるいは求めに応じて治病等の祈祷を行う。例祭ともども元禄5年(1692年)から始まったものという。

冬至の日に斎行される鎮火祭(火渉祭)は応永3年(1396年)に始まるといい、薪の上を素足で踏み渉り無病息災を祈り、薪の燃えさしを各家庭に持ち帰り軒先に吊るす。

【ご利益】
方位除け、厄除け、無病息災、病気平癒、火防、家内安全
加波山三枝祇神社本宮 - 加波山三社の中核、イザナミと八雷神が顕現、御祭神として祀る
【関連記事】
加波山三社とは? - 国史見在社・加波山権現、筑波山の北・加波山を信仰対象とする三社
国史見在社 - 『延喜式』に先行する六国史に記載のある神社で、式外社を指すことが多い
茨城県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、茨城県に鎮座している神社の一覧
加波山三枝祇神社本宮の御朱印