市東部の平地、国府の北方に位置する讃岐国総社、天平以前の古社
[住所]香川県坂出市林田町総社3001
[電話]0877-47-0828
総社神社(そうじゃじんじゃ)は、香川県坂出市林田町総社にある神社。讃岐国総社で、近代社格では郷社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
当社は坂出市東部の平地に位置し、讃岐国府からは北方約5.5キロの距離にある。一の鳥居は県道186号線を渡り神社正面から伸びる道を進んだ突き当りに位置する。鳥居をくぐり右手には御旅所がある。
社記『讃岐国名勝図会』には「惣社大明神は阿野北郡林田郷松ヶ浦今は総社といふに鎮座す。御社、今は海汀とは五、六丁もへだたれど、今も御社の近きわたり深く掘りみれば貝のからなどいと多かるとて、昔は海辺なる事しるべし」と記されている。
御祭神は、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)、讃岐国内の神々である国中大小神祇。社伝では、延長4年(926年)の創建。創建後は讃岐国府の総社として毎年国司の奉幣を受けたという。
ただし、聖武天皇の勅願で諸国に建立された総社の一社で、 国中大小の神祇を祀りて讃岐国総社と定めて後は、「総社明神」と称され、天平年間(729年-749年)以前にはすでに大社であったとも言われている。
天平年間以前が創祀、延長年間に創建とも考えられるが、天平年間以前に大社だったということは、やはりそれ以前の創建の可能性があることになる。
嘉慶年間(1387年-1389年)の兵火で社殿は焼失し、細川頼之により明徳元年(1390年)に再建された。
その後衰退していたのを天文20年(1551年)に三好氏一族によって再興されたが、天正年間(1573年-1592年)に兵火で再び焼失した。慶長2年(1597年)に新しく社殿が建てられた。
境内の摂末社には厳島神社がある他、数社が鎮座する。
当社の奴が有名。その昔、高松松平藩の姫が病を患い、当社近くの名医に掛かった際、道中の休憩場所として当社が使用された。そのお礼に挟箱を寄進したのが起源だという。
11月の新嘗祭では、太鼓台奉納がある。北庄司太鼓台、大洲太鼓台、浜西子供太鼓台、港太鼓台。
【ご利益】
地域・家内安全、厄祓い、身体壮健、夫婦和合
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・総社 - 信仰も手間を省ける、極めて日本的な制度、旧郡国ごとの総社のまとめ・一覧
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[電話]0877-47-0828
総社神社(そうじゃじんじゃ)は、香川県坂出市林田町総社にある神社。讃岐国総社で、近代社格では郷社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
当社は坂出市東部の平地に位置し、讃岐国府からは北方約5.5キロの距離にある。一の鳥居は県道186号線を渡り神社正面から伸びる道を進んだ突き当りに位置する。鳥居をくぐり右手には御旅所がある。
社記『讃岐国名勝図会』には「惣社大明神は阿野北郡林田郷松ヶ浦今は総社といふに鎮座す。御社、今は海汀とは五、六丁もへだたれど、今も御社の近きわたり深く掘りみれば貝のからなどいと多かるとて、昔は海辺なる事しるべし」と記されている。
御祭神は、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)、讃岐国内の神々である国中大小神祇。社伝では、延長4年(926年)の創建。創建後は讃岐国府の総社として毎年国司の奉幣を受けたという。
ただし、聖武天皇の勅願で諸国に建立された総社の一社で、 国中大小の神祇を祀りて讃岐国総社と定めて後は、「総社明神」と称され、天平年間(729年-749年)以前にはすでに大社であったとも言われている。
天平年間以前が創祀、延長年間に創建とも考えられるが、天平年間以前に大社だったということは、やはりそれ以前の創建の可能性があることになる。
嘉慶年間(1387年-1389年)の兵火で社殿は焼失し、細川頼之により明徳元年(1390年)に再建された。
その後衰退していたのを天文20年(1551年)に三好氏一族によって再興されたが、天正年間(1573年-1592年)に兵火で再び焼失した。慶長2年(1597年)に新しく社殿が建てられた。
境内の摂末社には厳島神社がある他、数社が鎮座する。
当社の奴が有名。その昔、高松松平藩の姫が病を患い、当社近くの名医に掛かった際、道中の休憩場所として当社が使用された。そのお礼に挟箱を寄進したのが起源だという。
11月の新嘗祭では、太鼓台奉納がある。北庄司太鼓台、大洲太鼓台、浜西子供太鼓台、港太鼓台。
【ご利益】
地域・家内安全、厄祓い、身体壮健、夫婦和合
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