『上野国神名帳』が御神体、「明神さま」で親しまれる上野国総社
[住所]群馬県前橋市元総社町1-31-45
[電話]027-252-0975
総社神社(そうじゃじんじゃ、總社神社)は、群馬県前橋市元総社町にある神社。上野国総社で、近代社格では県社。参拝すれば、「上野総社神社」などとある御朱印を頂ける。
上野国総社神社とも。「明神さま」として親しまれる。上野国内の神々を記した『上野国神名帳』を御神体としている。おり、『上野国神名帳』は県指定重要文化財。
なお、『上野国神名帳』には記載の異なる異本があり、当社所蔵の「総社本」のほか、一之宮貫前神社に伝わる「一宮本」、三夜沢赤城神社旧社家の真隅田家に伝わる「群書類従本」がある。
御祭神は、主祭神として、磐筒男命(いわつつのおのみこと)、磐筒女命(いわつつのめのみこと)、経津主命(ふつぬしのみこと)、宇迦御魂命(うかのみたまのみこと)、須佐之男命(すさのおのみこと)。
相殿神は『上野国神名帳』総社本に記される下記の「鎮守十社」。配祀神は上野国549社。
正一位抜鉾大明神(一之宮貫前神社)
正一位赤城大明神(赤城神社)
正一位伊香保大明神(伊香保神社)
正一位岩根大明神(甲波宿禰神社)
正一位若伊香保大明神(若伊香保神社)
正一位榛名大明神(榛名神社)
正一位小祝大明神(小祝神社)
従一位火雷大明神(火雷神社)
従一位倭文大明神(倭文神社)
従一位浅間大明神(浅間神社)
社伝によると、第10代崇神天皇皇子の豊城入彦命が軍神として経津主命を祀ったことに始まるという。第27代安閑天皇の時、上毛野小熊が社殿を改築して「蒼海明神」と称し、天平10年(738年)には上野国549社を合祀し、「正一位護国霊験惣社大明神」を賜り、「総社明神」と称した。
当地に移る以前は、蒼海城内の宮ノ辺(宮鍋)の地にあったという。国府伝承地でもあり、今は宮鍋神社がある。
長享2年(1488年)に万里集九が当社を訪れて記述を残しているほか、永禄9年(1566年)に兵火で焼失、元亀年間(1570年-1573年)に現在地に再建された。近世には朱印26石が与えられた。
明治に入り、県社に列した。
慶長年間(1596年-1615年)の造営であるが桃山時代の様式を残す本殿は県指定重要文化財。また、拝殿は天保14年(1843年)の再建で、市指定重要文化財。
『上野国神名帳』や拝殿のほか、県指定重要文化財として、総社神社懸仏 2面(工芸品)、雲版 1面(工芸品)がある。
「総社神社の筒粥置炭式」(1月15日)、「総社神社太々神楽」として、市の重要無形民俗文化財に指定され、「総社神社の社叢けやき」6本がやはり市の天然記念物となっている。
例祭は3月15日。10月9日にも秋季例祭がある。1月6日には射儀式が行われる。
【ご利益】
厄除け、交通安全、家内安全、商売繁盛
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[電話]027-252-0975
総社神社(そうじゃじんじゃ、總社神社)は、群馬県前橋市元総社町にある神社。上野国総社で、近代社格では県社。参拝すれば、「上野総社神社」などとある御朱印を頂ける。
上野国総社神社とも。「明神さま」として親しまれる。上野国内の神々を記した『上野国神名帳』を御神体としている。おり、『上野国神名帳』は県指定重要文化財。
なお、『上野国神名帳』には記載の異なる異本があり、当社所蔵の「総社本」のほか、一之宮貫前神社に伝わる「一宮本」、三夜沢赤城神社旧社家の真隅田家に伝わる「群書類従本」がある。
御祭神は、主祭神として、磐筒男命(いわつつのおのみこと)、磐筒女命(いわつつのめのみこと)、経津主命(ふつぬしのみこと)、宇迦御魂命(うかのみたまのみこと)、須佐之男命(すさのおのみこと)。
相殿神は『上野国神名帳』総社本に記される下記の「鎮守十社」。配祀神は上野国549社。
正一位抜鉾大明神(一之宮貫前神社)
正一位赤城大明神(赤城神社)
正一位伊香保大明神(伊香保神社)
正一位岩根大明神(甲波宿禰神社)
正一位若伊香保大明神(若伊香保神社)
正一位榛名大明神(榛名神社)
正一位小祝大明神(小祝神社)
従一位火雷大明神(火雷神社)
従一位倭文大明神(倭文神社)
従一位浅間大明神(浅間神社)
社伝によると、第10代崇神天皇皇子の豊城入彦命が軍神として経津主命を祀ったことに始まるという。第27代安閑天皇の時、上毛野小熊が社殿を改築して「蒼海明神」と称し、天平10年(738年)には上野国549社を合祀し、「正一位護国霊験惣社大明神」を賜り、「総社明神」と称した。
当地に移る以前は、蒼海城内の宮ノ辺(宮鍋)の地にあったという。国府伝承地でもあり、今は宮鍋神社がある。
長享2年(1488年)に万里集九が当社を訪れて記述を残しているほか、永禄9年(1566年)に兵火で焼失、元亀年間(1570年-1573年)に現在地に再建された。近世には朱印26石が与えられた。
明治に入り、県社に列した。
慶長年間(1596年-1615年)の造営であるが桃山時代の様式を残す本殿は県指定重要文化財。また、拝殿は天保14年(1843年)の再建で、市指定重要文化財。
『上野国神名帳』や拝殿のほか、県指定重要文化財として、総社神社懸仏 2面(工芸品)、雲版 1面(工芸品)がある。
「総社神社の筒粥置炭式」(1月15日)、「総社神社太々神楽」として、市の重要無形民俗文化財に指定され、「総社神社の社叢けやき」6本がやはり市の天然記念物となっている。
例祭は3月15日。10月9日にも秋季例祭がある。1月6日には射儀式が行われる。
【ご利益】
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