石森山という小丘に鎮座する、大樹や奇岩・怪石が有名な古社
[住所]山梨県山梨市下石森1376
[電話]-
山梨岡神社(やまなしおかじんじゃ)は、山梨県山梨市下石森にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 甲斐国 山梨郡「山梨岡神社」に比定される式内社(小社)の論社。論社は他に笛吹市に同名神社がある。近代社格では郷社。
鎮座地は「石森山」「石森丘」と呼ばれる平地の中の小丘で、境内は狭いながらも、松などの大樹や奇岩、怪石が密集し、ツツジの名所としても有名。
また、古く文人墨客から愛好され、岩にはそれぞれ趣のある名称が付けられている。
御祭神は、伊弉冉尊、事解男命、速玉男命、国常立尊、大国主命、少彦名命。
江戸時代中期の天明7年(1787年)の『甲斐名勝志』や『甲斐国志』は、熊野権現と国立明神を併せ祀ると記している。伊弉冉尊以下の三柱が前者、国常立尊以下の三柱が後者にあたる。
社伝によれば、創祀年代は不明だが、日本武尊が東夷征伐の際に勧請したといい、一説に第12代景行天皇41年、日本武尊が創祀したともいう。
本殿の東には、日本武尊が腰を掛けたという御腰掛石がある。その石の頂には日本武尊を祀る天神社が鎮座する。
奈良時代の神護景雲2年(768年)、坂上田村麻呂の父である坂上苅田丸が社殿を造営し、以来しばしば武将による造営がなされたと伝わる。
平安時代末期の文治3年(1187年)には甲斐武田氏の源流の一人・加賀美遠光が修造し、往時は毎年弓祭りという神事も行われたという。
江戸時代には朱印地2石5斗余り、黒印地3石7斗余りを有し、明治6年(1873年)郷社に列した。
本殿は2座相殿の二間社流造銅板葺。細部の手法が装飾的で桃山時代の技法を残しており、県の有形文化財に指定されている。
昭和36年(1961年)の解体修理で、大斗(だいと)の裏から元禄16年(1703年)に修理したことを示す墨書が発見された。
例祭は10月15日。
【ご利益】
生命・長寿、身体壮健、縁結び、病気平癒
【関連記事】
・山梨県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、山梨県に鎮座している神社の一覧
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山梨岡神社(やまなしおかじんじゃ)は、山梨県山梨市下石森にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 甲斐国 山梨郡「山梨岡神社」に比定される式内社(小社)の論社。論社は他に笛吹市に同名神社がある。近代社格では郷社。
鎮座地は「石森山」「石森丘」と呼ばれる平地の中の小丘で、境内は狭いながらも、松などの大樹や奇岩、怪石が密集し、ツツジの名所としても有名。
また、古く文人墨客から愛好され、岩にはそれぞれ趣のある名称が付けられている。
御祭神は、伊弉冉尊、事解男命、速玉男命、国常立尊、大国主命、少彦名命。
江戸時代中期の天明7年(1787年)の『甲斐名勝志』や『甲斐国志』は、熊野権現と国立明神を併せ祀ると記している。伊弉冉尊以下の三柱が前者、国常立尊以下の三柱が後者にあたる。
社伝によれば、創祀年代は不明だが、日本武尊が東夷征伐の際に勧請したといい、一説に第12代景行天皇41年、日本武尊が創祀したともいう。
本殿の東には、日本武尊が腰を掛けたという御腰掛石がある。その石の頂には日本武尊を祀る天神社が鎮座する。
奈良時代の神護景雲2年(768年)、坂上田村麻呂の父である坂上苅田丸が社殿を造営し、以来しばしば武将による造営がなされたと伝わる。
平安時代末期の文治3年(1187年)には甲斐武田氏の源流の一人・加賀美遠光が修造し、往時は毎年弓祭りという神事も行われたという。
江戸時代には朱印地2石5斗余り、黒印地3石7斗余りを有し、明治6年(1873年)郷社に列した。
本殿は2座相殿の二間社流造銅板葺。細部の手法が装飾的で桃山時代の技法を残しており、県の有形文化財に指定されている。
昭和36年(1961年)の解体修理で、大斗(だいと)の裏から元禄16年(1703年)に修理したことを示す墨書が発見された。
例祭は10月15日。
【ご利益】
生命・長寿、身体壮健、縁結び、病気平癒
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