現代まで姿を維持する全国的に珍しい備中国総社、境内社に式内「野俣神社」も
[住所]岡山県総社市総社2-18-1
[電話]0866-93-4302

總社(そうじゃ)は、岡山県総社市総社にある神社。備中国総社で、近代社格では県社。総社宮、総社の御宮、備中国総社宮などとも。参拝すれば、「備中国総社」などとある御朱印を頂ける。

主祭神は大名持命(おおなもちのみこと、大国主命)とその正妻である須世理姫命(すせりひめのみこと)。

相殿神に、御鎮魂八柱神(高皇産霊神神皇産霊神、魂留産霊神、生産霊神、足産霊神、大宮売神事代主神、御膳神の8柱)と、備中国内304社の神。

備中国内304社の神は、『延喜式』巻9・10神名帳 山陽道神 備中国記載の神社(官社)18社、国司の神名帳記載の神社(田社)286社)。

当地には総社ができる以前、第16代仁徳天皇の皇妃八田皇女の名代として八田部(八部)が設けられたという。

後に御友別(応神天皇妃の兄)の子孫が当地に移住し国造となり、野俣神社を建て、周辺一帯の総社としたとされる。大化後、当地に備中国総社が創建された。

『延喜式』巻9・10神名帳 山陽道神 備中国 賀夜郡「野俣神社」とあり、現在境内社になっている沼田神社がその論社。他の論社に、吉備中央町の大和神社に合祀されたものがある。

沼田神社の御祭神は大年神で、大物主命少彦名命を配祀。現在は菅原道真公が同殿。沼田天満宮、沼田天神とも。

室町時代には戦火に遭って当社の社殿が焼失、永享元年(1429年)に再建された。天正年間(1573年-1592年)に再び焼失した。

国司が力を失うとともに多くの国々で総社は廃れていったが、当社は現代までその姿を維持する全国的にも珍しい神社。

貞享4年(1687年)に再建され、彩色二十四孝の絵馬が奉納された。これにより商家の信仰が増し、豪商の西戎屋などにより京都の一流画家の描いた絵馬が奉納されるなどして繁栄した。

周辺は門前町・宿場町として発展し、のちの総社市の礎を築いた。当社は明治5年(1872年)11月、県社に列した。

境内の摂末社には大神神社(大物主命(大国主命の和魂))、荒神社(猿田彦大神火産霊神)、清正公神社(加藤清正公)、和霊神社(素盞嗚命)、琴平神社(大物主命)、笑主神社(事代主命)、祇園神社(素盞嗚命)、厳島神社(市杵嶋姫命湍津姫命田心姫命宗像三女神)がある。

前庭の三島式庭園は古代の様式を今に伝えており、後楽園が築造される際に参考とされた。

例祭は10月第3土・日曜日。力石総社、相殿神8柱、末社12社、備中国304社の計324社の神饌を奉献する324社祭などがある。

岡山県は旧郡国では備前国、備中国、美作国があり、それぞれに総社があるが、当社は備中国総社。備前国総社は備前国総社宮で、美作国総社は美作総社宮

【ご利益】
厄除け・交通安全・身体健全・病気平癒・縁結び(岡山県神社庁
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總社の御朱印