伊豆国三宮から二宮に昇格した三嶋大社の別宮、境内に芝岡神社
[住所]静岡県三島市芝本町6-3
[電話]-
浅間神社(せんげんじんじゃ)は、静岡県三島市芝本町にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「伊賀牟比売命神社(伊豆国・賀茂郡)」に比定される式内社(小社)の論社。伊豆国三宮のち二宮。
三嶋大社の摂社、あるいは別宮だったという。三嶋大社八所別宮の一つとも。伊豆山神社の本地仏・十一面千手千眼観音の仏名「せんげん」から「浅間」の神名に転訛したとも言われる。
当社は、伊豆山神社やその境内社に比定される式内社「火牟須比命神社」の遥拝所とも。
もとは伊豆国三宮であったが、二宮八幡宮が三嶋大社の境内に遷座して後、二宮に昇格、あるいは二宮として扱われるようになったという。
なお、当社が二宮格になった後の三宮については不明。四宮の広瀬神社の昇格というのは聞かない。あるいは、楊原神社が伊豆国三宮との説もある。
かつては富士登山をする者が必ず当社に詣でるのを常としたという。当社境内周辺より湧き出た水は、下流町村の潅概用水となっている。
御祭神は木花開耶姫命・波布比売命。相殿に瓊々杵命・火明命・火蘭降命・彦火々出見命を祀る。例祭は7月15日・16日。
境内社の芝岡神社は、昭和27年(1952年)に境内に移転されたもの。元本陣世古六太夫家の邸内に祀ってあったが、明治4年(1871年)に芝町の氏神として祀ることになり、村社となった。
明治10年3月(1877年)の三島宿の大火に類焼し、明治12年(1879年)に復興。御祭神は高産霊神。本殿の下に大きな円形の石があり、霊石と称し、昔から子供の守神として知られている。
芝岡神社の例祭も、当社と同一日で、「芝岡・浅間神社祭典」などとも言われ、芝岡神社が主格扱い。
なお、式内社「伊賀牟比売命神社」の論社には他に、東京都三宅村伊ヶ谷の后神社がある。
【ご利益】
安産、家内円満、子孫繁栄、水
【関連記事】
・静岡県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、静岡県に鎮座している神社の一覧
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浅間神社(せんげんじんじゃ)は、静岡県三島市芝本町にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「伊賀牟比売命神社(伊豆国・賀茂郡)」に比定される式内社(小社)の論社。伊豆国三宮のち二宮。
三嶋大社の摂社、あるいは別宮だったという。三嶋大社八所別宮の一つとも。伊豆山神社の本地仏・十一面千手千眼観音の仏名「せんげん」から「浅間」の神名に転訛したとも言われる。
当社は、伊豆山神社やその境内社に比定される式内社「火牟須比命神社」の遥拝所とも。
もとは伊豆国三宮であったが、二宮八幡宮が三嶋大社の境内に遷座して後、二宮に昇格、あるいは二宮として扱われるようになったという。
なお、当社が二宮格になった後の三宮については不明。四宮の広瀬神社の昇格というのは聞かない。あるいは、楊原神社が伊豆国三宮との説もある。
かつては富士登山をする者が必ず当社に詣でるのを常としたという。当社境内周辺より湧き出た水は、下流町村の潅概用水となっている。
御祭神は木花開耶姫命・波布比売命。相殿に瓊々杵命・火明命・火蘭降命・彦火々出見命を祀る。例祭は7月15日・16日。
境内社の芝岡神社は、昭和27年(1952年)に境内に移転されたもの。元本陣世古六太夫家の邸内に祀ってあったが、明治4年(1871年)に芝町の氏神として祀ることになり、村社となった。
明治10年3月(1877年)の三島宿の大火に類焼し、明治12年(1879年)に復興。御祭神は高産霊神。本殿の下に大きな円形の石があり、霊石と称し、昔から子供の守神として知られている。
芝岡神社の例祭も、当社と同一日で、「芝岡・浅間神社祭典」などとも言われ、芝岡神社が主格扱い。
なお、式内社「伊賀牟比売命神社」の論社には他に、東京都三宅村伊ヶ谷の后神社がある。
【ご利益】
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