社殿裏の円墳上の如法経塚は鎌倉初期造営、美濃国三宮の式内古社
多岐神社(岐阜県養老郡養老町三神町)
[住所]岐阜県養老郡養老町三神町
[電話]0584-32-9074

多岐神社(たぎじんじゃ)は、岐阜県養老郡養老町にある神社。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「多伎神社(美濃国・多芸郡)」に比定される式内社(小社)。美濃国三宮で、近代社格では郷社。

多芸郡の名の由来は、日本武尊の「吾が足得歩まず、たぎらぎしくなりぬ」の言葉から。伊吹山の神に瀕死の重傷を負わされた日本武尊が敗走してきた時のセリフ。

御祭神は、倉稻魂神(うかのみたまのかみ)、素盞嗚命(すさのおのみこと)。古代、この地域を支配した多芸氏の祖神を祀ったという。極めてスタンダードな神々だが、父娘であるにもかかわらず、併せて祀られているのは珍しいかもしれない。

創建時期は和銅年間(708年-715年)と伝わるが、詳細は不明。「三宮正一位護法大菩薩」の勅願があり、往古は多芸郡五十五村の宗社として栄えた。

文治5年(1189年)、社殿裏の円墳上にある如法経塚が作られる。弘治・永禄年間(1550年-1560年頃)には動乱により社領が没収される。

天正13年(1585年)、洪水で大きな被害を受ける。この洪水で木曽川の流れが変わり、尾張国と美濃国の境が変更され、尾張国葉栗郡、中島郡、海西郡の一部が美濃国羽栗郡、中島郡、海西郡となる。

慶長年間(1596年-1615年)以後、社殿などが復興される。

明治6年(1873年)、郷社に指定される。大正2年(1913年)、日照りが続いた際に社務所前に3種の稲(早稲、中稲、晩稲)が生え、霊験として多くの参拝者があったという。社殿横にこれを記念した奇端之稲発生の地の石碑がある。

昭和37年(1962年)に神社庁長参向神社(金幣社)に指定される。文化財として、懸仏がある(県指定重要文化財)。

多くの境内社がある。本殿右手には、御鍬社・神明社・八幡社と、多藝御霊社。本殿左手には、神明社・御鍬社と、素盞嗚社・藤代社。さらに左手に、派稲荷社、大日堂、八雲社があるという。

【ご利益】
五穀豊饒・諸願成就・信徒繁昌
多岐神社(養老町) - 社殿裏の円墳上の如法経塚は鎌倉初期造営、美濃国三宮の式内古社
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