神々が出雲に進発する際の陣営跡、女子力アップのパワースポット
倭文神社(鳥取県倉吉市志津209)
[住所]鳥取県倉吉市志津209
[電話]0858-23-2008

倭文神社(しどりじんじゃ)は、鳥取県倉吉市志津にある神社。伯耆三ノ宮とも。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 山陰道神 伯耆国 久米郡「倭文神社」に比定される式内社(小社)。伯耆国三宮で、近代社格では県社

主祭神は経津王神(武勇の神)、武葉槌神(たけはつちのかみ、天羽槌雄神。機織・織物の神)、下照姫神(安産の神)。伊弉諾命伊弉冊命誉田別命を相殿に祀る。例祭は4月29日。

創建年代は不詳。古くは志津大明神、または三ノ宮志津大明神とも称した。鎮座地の志津は社号の倭文と同じである。

倭文は日本古来の織物を意味し、「しづおり」が「しづり」「しどり」に、さらに「しづ」に転じたものと考えられる。織物が盛んだったようだ。

往古より武門武将の崇敬篤く、庶民の信仰が盛んで、中世には国主山名氏、吉川氏、南條氏などに崇敬され、社殿の建立、社領の寄進を受けたが、慶長年間、中村伯耆守により社領を没収された。

江戸時代に入っては藩主の尊信篤く社殿の建立・修復、社領の寄進が行われ、池田家の祈願所として隆昌を極めた。

明治4年(1871年)に郷社に列し、大正2年(1913年)に近在の四社を合併、昭和17年(1942年)には県社に昇格した。昭和30年(1955年)に福富神社が分離、御祭神は六柱となる。

経津主神(一説には武葉槌神とも)が中津国平定の詔勅により、出雲へ進発する時、陣営を固めた地(神跡)ともされる。

当社より北200メートル余りの地に「神津井」と称する井戸がある。往昔、諸神の軍営中飲料に充てられたとされる井戸で、今も祭事には神水として神前に供している。

往昔より祭礼の際、室町時代の軍神祭の様式に倣った神幸式が行われたが、幾多の変遷を経て、江戸時代の末期に再興、大名行列の様式になり今日に至っている。

「倭文神社大名行列」として、市指定無形民俗文化財。

現在は、主神の中でも、下照姫神にスポットが当てられ、山陰観光連盟では下記のように紹介しており、パワースポットとしても注目されている。
麗しい容姿、安産の神である祭神下照姫(シタテルヒメ)を祀る神社。和歌の元祖とも呼ばれている下照姫にあやかり、“美しく、賢く”女子力アップ!
【ご利益】
武運長久、機織り・紡織・ファッション、安産、女子力
倭文神社(倉吉市) - 神々が出雲に進発する際の陣営跡、女子力アップのパワースポット
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