『三大実録』に記載、阿蘇三神を併祀して遷座した古社、平安初期の五重塔
[住所]熊本県宇城市三角町郡浦2666
[電話]0964-54-0952
郡浦神社(こうのうらじんじゃ、こおのうらじんじゃ)は、熊本県宇城市三角町にある神社。肥後国三宮で、近代社格では郷社。阿蘇神社(阿蘇市)、甲佐神社(上益城郡甲佐町)、健軍神社(熊本市東区)とともに阿蘇四社と称せられる。御朱印の有無は不明。
御祭神は、主祭神が蒲智比咩命(かまちひめのみこと)。海神の女神で、雨宮媛命(あまみやひめのみこと)とも。健磐龍命(たけいわたつのみこと、阿蘇神社主祭神)、主祭神の夫にあたる速瓶玉命(はやみかたまのみこと、国造神社主祭神)、神武天皇の四柱。
『三大実録』に天慶2年(878年)、第12代景行天皇、神功皇后の功績に与り、正六位上の位を持つ蒲智比咩神社の記述があり、これが当社の源流と思われる。一種の国史見在社。
この女神が阿蘇神社の母神、甲佐神社の祖母神である蒲智大明神とされ、天養元年(1144年)、近衛天皇の勅宜により、阿蘇友孝大宮司が阿蘇三神を併祀し、現在の地に遷座する。
健軍神社、甲佐神社とともに阿蘇神社の摂社となり、中世には、肥後の三の宮(三ノ宮)として重きをなした。社領は当時、住吉、長浜を除く宇土半島全域に渡り、社田350町、網田に80町を有する大社だった。
天正年間(1573年-1593年)の戦乱の中で、社殿、宝物すべて焼失し、神領も奪椋された。現在の社殿は嘉永2年(1849年)に再建されたもの。境内は常福寺の跡地で、2182坪。
境内に残る五重塔は、平安時代初期のものとされる。明治9年(1876年)に熊本で起こった「神風連の変」において、宇城市三角町大岳山頂で自刃した六烈士ゆかりの石碑、殉国の碑などがある。
例祭は10月9日、祭式の他、流鏑馬、子供神輿、子供相撲、演芸会などが奉納される。
【ご利益】
夫婦和合、子孫繁栄、家内円満、武運長久、身体壮健など
【関連記事】
・阿蘇四社とは? - 阿蘇神社と、阿蘇神社に関係の深い健軍神社・甲佐神社・郡浦神社の三社
・熊本県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、熊本県に鎮座している神社の一覧
[電話]0964-54-0952
郡浦神社(こうのうらじんじゃ、こおのうらじんじゃ)は、熊本県宇城市三角町にある神社。肥後国三宮で、近代社格では郷社。阿蘇神社(阿蘇市)、甲佐神社(上益城郡甲佐町)、健軍神社(熊本市東区)とともに阿蘇四社と称せられる。御朱印の有無は不明。
御祭神は、主祭神が蒲智比咩命(かまちひめのみこと)。海神の女神で、雨宮媛命(あまみやひめのみこと)とも。健磐龍命(たけいわたつのみこと、阿蘇神社主祭神)、主祭神の夫にあたる速瓶玉命(はやみかたまのみこと、国造神社主祭神)、神武天皇の四柱。
『三大実録』に天慶2年(878年)、第12代景行天皇、神功皇后の功績に与り、正六位上の位を持つ蒲智比咩神社の記述があり、これが当社の源流と思われる。一種の国史見在社。
この女神が阿蘇神社の母神、甲佐神社の祖母神である蒲智大明神とされ、天養元年(1144年)、近衛天皇の勅宜により、阿蘇友孝大宮司が阿蘇三神を併祀し、現在の地に遷座する。
健軍神社、甲佐神社とともに阿蘇神社の摂社となり、中世には、肥後の三の宮(三ノ宮)として重きをなした。社領は当時、住吉、長浜を除く宇土半島全域に渡り、社田350町、網田に80町を有する大社だった。
天正年間(1573年-1593年)の戦乱の中で、社殿、宝物すべて焼失し、神領も奪椋された。現在の社殿は嘉永2年(1849年)に再建されたもの。境内は常福寺の跡地で、2182坪。
境内に残る五重塔は、平安時代初期のものとされる。明治9年(1876年)に熊本で起こった「神風連の変」において、宇城市三角町大岳山頂で自刃した六烈士ゆかりの石碑、殉国の碑などがある。
例祭は10月9日、祭式の他、流鏑馬、子供神輿、子供相撲、演芸会などが奉納される。
【ご利益】
夫婦和合、子孫繁栄、家内円満、武運長久、身体壮健など
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