周防国五宮、明治期に1郷社6村社が合祀、「村民の敬神深き」社
[住所]山口県山口市矢原1241
[電話]083-924-2182
朝田神社(あさだじんじゃ)は、山口県山口市矢原にある神社。周防国五宮で、近代社格では郷社。御朱印の有無は不明。
創建年代は不詳。
戦国時代の明応6年(1494年)、九州の戦陣から帰った領主大内義興が当社を含め周防国内の5社に戦勝報告し、当社は5番目であったことから以降「周防国五の宮」と称されるようになった。
別称は五ノ宮大明神。ちなみに、その他は、一宮が玉祖神社、二宮が出雲神社、三宮が仁壁神社、四宮が赤田神社。周防五社詣とも呼ばれる。社殿は、残されている棟札により、明応8年(1499年)の再建だと分かる。明治6年(1873年)、郷社に列せられる。
明治39年(1906年)、内務省令により、元大歳村内の一郷社(当社)と六村社が合祀され、改めて現社号となった。
今井の地に鎮座していた若宮八幡宮は、鎌倉時代の正安元年(1299年)、豊前国宇佐八幡宮からの勧請と伝える。川端に社があり、洪水により古記などが流失。室町時代の天文2年(1533年)に社殿再建の記録がある。
上湯田下の地の八幡宮は、往古鎌倉の鶴岡八幡宮からの勧請と伝えるが、詳細は不明。江戸時代の延宝8年(1680年)、平川村平清水八幡宮からの勧請との説もある。
高畑の住吉神社は、摂津国住吉大社からの勧請と伝わる。再建立の棟札に安土桃山時代の天正8年(1580年)とある。
岩富の地の黒川八幡宮は、山城国男山八幡宮(現 石清水八幡宮)からの勧請という。洪水により度々流され、江戸時代の慶長15年(1610年)移転の記録が残る。
勝井の地の熊野神社は、大内氏の第9代当主大内弘世(1325年-1380年)が、紀伊国熊野神社(現 熊野本宮大社)から勧請したという。義隆の時、天文年間(1532年-1555年)に、陶隆房の放火により焼失。江戸時代の承応2年(1653年)の再建と伝わる。
高井の地の八幡宮は、創建年月は不詳だが、豊前国宇佐八幡宮からの勧請と伝わる。再建立の棟札に、室町時代の享禄2年(1529年)とある。
筥崎宮を除く、日本三大八幡からいずれも勧請を受けた八幡宮を一気に合祀している、記録が残っている神社としては、稀有かもしれない。
合祀後の新社地は、村の中央に当たる住吉神社が選ばれ、社殿は総ての旧社殿を移転して建設された。明治42年(1909年)末には本殿・幣殿・拝殿が落成し、正遷座祭が斎行された。
この後も引き続き付属物や馬場・参道の整地などの工事が行われ、大正2年(1913年)、満七ヶ年を要した大工事が終了。このことは「村民が敬神の念深き故」と記録されている。
以上の経緯により、御祭神は、主祭神が罔象女命。譽田別命・氣長足姫命・大鷦鷯命・である田心姫命・湍津姫命・市杵島姫命(以上は八幡神と若宮。宗像三女神は姫大神か)・表筒男命・中筒男命・底筒男命(以上は住吉三神)・伊邪那美命・須佐之男命(以上は熊野)が配祀されている。
例祭は11月18、19日。
【ご利益】
地域・家内安全・平穏、一致団結、厄祓い、交通安全、所願成就など

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朝田神社(あさだじんじゃ)は、山口県山口市矢原にある神社。周防国五宮で、近代社格では郷社。御朱印の有無は不明。
創建年代は不詳。
戦国時代の明応6年(1494年)、九州の戦陣から帰った領主大内義興が当社を含め周防国内の5社に戦勝報告し、当社は5番目であったことから以降「周防国五の宮」と称されるようになった。
別称は五ノ宮大明神。ちなみに、その他は、一宮が玉祖神社、二宮が出雲神社、三宮が仁壁神社、四宮が赤田神社。周防五社詣とも呼ばれる。社殿は、残されている棟札により、明応8年(1499年)の再建だと分かる。明治6年(1873年)、郷社に列せられる。
明治39年(1906年)、内務省令により、元大歳村内の一郷社(当社)と六村社が合祀され、改めて現社号となった。
今井の地に鎮座していた若宮八幡宮は、鎌倉時代の正安元年(1299年)、豊前国宇佐八幡宮からの勧請と伝える。川端に社があり、洪水により古記などが流失。室町時代の天文2年(1533年)に社殿再建の記録がある。
上湯田下の地の八幡宮は、往古鎌倉の鶴岡八幡宮からの勧請と伝えるが、詳細は不明。江戸時代の延宝8年(1680年)、平川村平清水八幡宮からの勧請との説もある。
高畑の住吉神社は、摂津国住吉大社からの勧請と伝わる。再建立の棟札に安土桃山時代の天正8年(1580年)とある。
岩富の地の黒川八幡宮は、山城国男山八幡宮(現 石清水八幡宮)からの勧請という。洪水により度々流され、江戸時代の慶長15年(1610年)移転の記録が残る。
勝井の地の熊野神社は、大内氏の第9代当主大内弘世(1325年-1380年)が、紀伊国熊野神社(現 熊野本宮大社)から勧請したという。義隆の時、天文年間(1532年-1555年)に、陶隆房の放火により焼失。江戸時代の承応2年(1653年)の再建と伝わる。
高井の地の八幡宮は、創建年月は不詳だが、豊前国宇佐八幡宮からの勧請と伝わる。再建立の棟札に、室町時代の享禄2年(1529年)とある。
筥崎宮を除く、日本三大八幡からいずれも勧請を受けた八幡宮を一気に合祀している、記録が残っている神社としては、稀有かもしれない。
合祀後の新社地は、村の中央に当たる住吉神社が選ばれ、社殿は総ての旧社殿を移転して建設された。明治42年(1909年)末には本殿・幣殿・拝殿が落成し、正遷座祭が斎行された。
この後も引き続き付属物や馬場・参道の整地などの工事が行われ、大正2年(1913年)、満七ヶ年を要した大工事が終了。このことは「村民が敬神の念深き故」と記録されている。
以上の経緯により、御祭神は、主祭神が罔象女命。譽田別命・氣長足姫命・大鷦鷯命・である田心姫命・湍津姫命・市杵島姫命(以上は八幡神と若宮。宗像三女神は姫大神か)・表筒男命・中筒男命・底筒男命(以上は住吉三神)・伊邪那美命・須佐之男命(以上は熊野)が配祀されている。
例祭は11月18、19日。
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