江戸中期社殿が平成の放火で焼失も再建、どんど焼きでも知られる周防国三宮
[住所]山口県山口市三の宮2-6-22
[電話]083-923-0342

仁壁神社(にかべじんじゃ)は、山口県山口市三の宮にある神社。参拝すれば、「周防国三の宮」などとある御朱印を頂ける。

延喜式』巻9・10神名帳 山陽道神 周防国 吉敷郡「仁壁神社」に比定される式内社(小社)。周防国三宮で、近代社格では県社

住吉三神表筒男命中筒男命底筒男命)を主祭神とし、下照姫命味耜高彦根命の兄妹神を相殿に祀る。

『仁壁神社鎮座考』では味鋤高彦根命が主神、下照姫命が相殿神で、住吉三神は合祀されたものと記されている。他に、下照姫命が主神で、他の四柱が合祀されたものという説もある。

創建年代は不詳であるが、第10代崇神天皇7年、各地の神社の神封戸を定めた時に、当社にも宮野庄を神封戸として充てたとの記録があり、この時にはすでに存在していたことになる。

宮野地区の「神織機」という地名が伝わっており、下照姫命も何かと機織りと縁深く、古くから農業や養蚕・織物が盛んで、交易も頻繁に行なわれていた可能性が指摘されている。

国史の初見は、『日本文徳天皇実録』嘉祥3年(851年)正月27日条の、従五位の神階を授けるという記述である。その後も昇格し、建久6年(1195年)に正三位まで昇った。吉敷郡で唯一の式内社。

元は宮野下村に鎮座していたが、現在地で一日中玉光が飛ぶ奇瑞があったとして、長治元年(1104年)に現在地に遷座したという。

明応6年(1494年)、九州の戦陣から帰った領主大内義興が当社を含め周防国内の5社に戦勝報告し、当社は3番目であったことから以降「周防国三の宮」と称されるようになった。

ちなみに、その他は、一宮玉祖神社、二宮が出雲神社、四宮が赤田神社、五宮が朝田神社周防五社詣とも呼ばれる。

永徳12年(1569年)、大内輝弘の乱で社殿は焼失したが、程なく毛利輝元によって再興された。その後正徳2年(1712年)にまた焼失したので、享保5年(1720年)に重建された。

その社殿が長く存在していたが、平成9年(1997年)に放火による火災で焼失。平成12年(2000年)に本殿・拝殿・幣殿が再建され、平成21年(2009年)、神楽殿が再建された。

当社には「慶長十三年二月吉日新見作」という刻名の獅子頭がある。慶長13年は江戸時代初期(1608年)にあたり、山口市の有形文化財に指定されている。

上記のように御祭神には諸説あるが神産日神高御産日神・玉積産日神・神生産神・足産日神・大宮売神御食津神事代主神が配祀されているとも。いわゆる八神殿の神々。

例祭は10月27日。むつみ神楽保存会による奉納神楽が行われる場合がある。境内社に具明神社・稲荷神社・綿津見神社・綿津見神社・江良神社がある。

1月のどんど焼きも有名で、周辺のパワースポットとしても名高い。

【ご利益】
交通安全、商売繁盛、機織り・紡織、ファッションなど
仁壁神社 - 江戸中期社殿が平成の放火で焼失も再建、どんど焼きでも知られる周防国三宮
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仁壁神社の御朱印