三保の松原の「羽衣の松」、三保大明神・大己貴命夫婦を祀る夫婦和合の社
[住所]静岡県静岡市清水区三保1073
[電話]054-334-0828

御穂神社(みほじんじゃ)は、静岡県静岡市清水区三保にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

『延喜式神名帳』にある「御穂神社(駿河国・廬原郡)」に比定される式内社(小社)。駿河国三宮で、近代社格では県社

三保の松原の「羽衣の松」に関係する神社として知られる。「みほ」の字は、「御穂」のほか「御廬」「三穂」「三保」とも。三保大明神の別名がある。

境内と参道(神の道)は世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産の一つ「三保の松原」の範囲に含まれている。

御祭神は大己貴命(おおあなむちのみこと)と三穂津姫命(みほつひめのみこと)。当社では、大己貴命の別名を「三穂津彦命(みほつひこのみこと)」とする。

『延喜式神名帳』では一座。また『駿河雑志』では、「御穂津彦」「御穂津姫」の二柱とする。

創建は不詳。『駿河雑志』では、日本武尊が勅により官幣を奉じ社領を寄進したとも、出雲国の御穂埼(現 島根県松江市美保関町、美保神社がある)から遷座した神であるとも伝える。

国史では神名を「御廬神」として、貞観7年(865年)に従五位下から従五位上へ、後元慶3年(879年)に正五位下へ神階が昇叙されたという記事がある。

寛文年間(1661年-1673年)頃の『駿河国風土記』では、「日本武尊奉勅供官幣、始献圭田五百畝、為国之三宮」と記載されている。

そのため、当社は駿河国において一宮である富士山本宮浅間大社、二宮である豊積神社に次ぐ三宮の地位にあったと考えられている。

中世の史料としては文保3年(1319年)の飯室乃神社蔵の鰐口がある。この鰐口では「三保大明神」と見え、神主の息長氏女から施入されたという。

また、応安3年(1370年)には神木の伐採禁止と違反者捜索が伊達景宗によって命じられられた。

弘治3年(1557年)には山科言継が今川義元の勧めで「三浦之大明神」と記される当社に参詣し、禰宜の大田氏(太田氏)に礼を遣わしている。

天正5年(1577年)には太田喜三郎が三保の神主職に補任、大明神御供免松原浦などが安堵された。

近世には、徳川家康から朱印地として三保・折戸・別符三カ村の106石が与えられ、社殿も整備されたが、寛文8年(1668年)に火災で焼亡した。

その後江戸時代中期に仮宮として建てられたものが現在まで続いている。現在の本殿は入母屋造で、静岡市指定文化財に指定されている。

明治維新後、明治6年(1873年)に郷社に列し、明治31年(1898年)に県社に昇格。

社頭からは「神の道」と称される樹齢300年から400年ほどの松並木が520メートルほど続き、松並木が絶える三保の松原において、謡曲『羽衣』で知られる「羽衣の松」が立つ。

摂末社に、子安神社(須佐之男命稲田姫命)と、舞殿東の五社として、呉服之神社(長白羽命)、稲荷神社(宇迦之御魂神大宮姫神、太田命)、胡夫大夫神社(事代主命)、磯前神社(少彦名神)、産霊神社(高皇産霊命神皇産霊命)がある。

また、本殿西の三社として、八幡神社(応神天皇)、八雲神社(須佐之男命)、神明社(天照大神)が、その他に羽車神社がある。

例祭は11月1日。湯立の神事を行うほか、舞殿において「羽衣の舞」と称される巫女舞が奉納される。

また、2月14日夜から15日にかけて筒粥祭(つつかゆさい)が行われる。社前の大釜で粥を煮て竹筒を入れ、筒の中に入った粥の量でその年の作柄の占いを行う。

【ご利益】
夫婦和合、縁結び、安産子育て、航海安全・漁業・農業など
御穂神社 - 三保の松原の「羽衣の松」、三保大明神・大己貴命夫婦を祀る夫婦和合の社
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御穂神社の御朱印