物部神社から鎌倉期に八幡を勧請、源頼朝も和歌を奉納、伝統の流鏑馬神事
[住所]山梨県笛吹市石和町市部1096
[電話]055-263-8261

石和八幡宮(いさわはちまんぐう)は、山梨県笛吹市石和町にある神社。近代社格では村社。国衙八幡宮、石和八幡神社などとも。参拝すれば、御朱印を頂ける。

第12代景行天皇27年、当地に縁深い貴人の神霊二柱と、物部氏遠祖十神を祀り、官知物部神社として創始したと伝わる。御祭神は、天足彦国押人命稚城瓊入彦命などだと思われる。

一帯の鎮守となったが、中世に至り、建久3年(1192年)、石和五郎信光(武田信光)が鎌倉幕府創建における功績により甲斐国河東半国の守護職となり、石和に政庁として居館を構えた際、鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請合祀し、甲斐源氏の氏神とし、国衙八幡宮と改称した。

合祀されたのは、応神天皇、比売大神、神功皇后と思われる。この時、将軍源頼朝より神領500貫の寄進と、下記の和歌一首の奉納があったと伝えられている。
うつしては 同じ宮ゐの神垣に 汲みてあふかむ 美たらしの水
以後武田氏を宗家とする甲斐源氏一門の氏神として、正治2年(1200年)より永正16年(1519年)に武田信虎が甲府の躑躅ヶ崎館に移るまで、約320年間の長きにわたって崇敬され続けた。

弓馬に秀で、将軍や執権北条氏の指南役を務めた武田信光の武技にちなむ甲斐源氏一門の射法相伝の儀式は全て当社で行われたという。現在も例大祭にあわせて流鏑馬神事が奉納される由緒となっている。

戦国期には大永5年(1525年)に武田信虎が甲府開府にあたり、当社を勧請して甲府に府中八幡宮が成立した。

府中八幡宮は甲斐国総社になっていくため、当社は総社の本宮となる。また、府中八幡宮の古社地には古八幡神社がある。

永禄4年(1561年)、甲斐国内の諸社に対し府中八幡宮への参勤が命じられているが、一宮・浅間神社をはじめ当社を含む10社が勤番を免除されている。

安土桃山時代から江戸時代を通じて、歴代領主及び甲府勤番支配は当社への神拝を例とした。戦国時代には織田軍の甲斐侵攻で兵火により社殿・社宝ことごとく廃塵に帰したが、後に徳川家康の寄進により再建された。

明治6年(1874年)に郷社に選定されたが、氏子の願いにより、村社に列せられた。

平成18年(2006年)、不慮の火災により、本殿・弊殿・拝殿を焼失したが、多くの奉賛を得て平成21年(2009年)に再建され今日に至る。

地元では古くから「八幡さん」として親しまれ、祭典日や正月など多くの参拝者で賑わう。

例祭は4月3日。先の流鏑馬の他、水難除神事が斎行される。

【ご利益】
武運長久、武芸上達、勝運、子孫繁栄・子宝・安産
石和八幡宮 - 物部神社から鎌倉期に八幡を勧請、源頼朝も和歌を奉納、伝統の流鏑馬神事
【関連記事】
山梨県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、山梨県に鎮座している神社の一覧
石和八幡宮の御朱印