武田信玄が定めた、国中の神主が交代で参籠した甲斐国総社
[住所]山梨県甲府市宮前町6-47
[電話]055-252-1192
八幡神社(はちまんじんじゃ)は、山梨県甲府市宮前町にある神社。往古は府中八幡神社、府中八幡宮、甲斐総社八幡宮とも。御朱印の有無は不明。
甲斐国総社で、近代社格では県社。
御祭神は東殿が姫大神(宗像三女神)、中殿が誉田別命、西殿が息長足姫命。
甲斐源氏の始祖である新羅三郎義光から四代石和五郎武田信光が、承久年間(1219年-1222年)に鶴岡八幡宮の分霊を石和の館に勧請し、武田家の氏神として国衙八幡宮(現 石和八幡宮)として奉斎したのに始まる。
永正16年(1519年)、武田信虎が躑躅ヶ崎館を築城する際、今の甲府市峯本の地(現 古八幡神社)に遷座し、武田晴信(武田信玄)の時に甲斐国内の惣社(総社)、府中八幡と位置付けた。
それまでの甲斐国総社は甲斐奈神社で、現在は笛吹市春日居町(甲斐国四宮)と、笛吹市一宮町に論社がある。また、国府・国分寺の守護神としての国府八幡宮は大井俣窪八幡神社だったが、当社がこれに代わった。
永禄3年(1560年)、信玄は『社中条目写』により、甲斐国九筋164社の神主に対して、二日二夜ずつ二人交替で当社に詰めて参籠し、国家安泰を祈願するよう命じられた。
これを免除されたのは甲斐国内でも一宮・浅間神社、二宮・美和神社、武田家氏神の武田八幡宮、甲府の鬼門である菅田天神社などわずか10社で、これはこれで社格のようにもなった。
武田氏滅亡後、徳川氏が入国して社参し、社殿の造営を命じ、整備が進む。浅野長政が甲府城を築城する際、文禄4年(1596年)に現在地へ奉遷、府城の鎮守祈願所としての地位を確立した。
明治維新以降、第一号の県社に列せられる。例祭は9月15日、または直前の日曜日。
【ご利益】
国家鎮護、延命長寿・安産、治水

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八幡神社(はちまんじんじゃ)は、山梨県甲府市宮前町にある神社。往古は府中八幡神社、府中八幡宮、甲斐総社八幡宮とも。御朱印の有無は不明。
甲斐国総社で、近代社格では県社。
御祭神は東殿が姫大神(宗像三女神)、中殿が誉田別命、西殿が息長足姫命。
甲斐源氏の始祖である新羅三郎義光から四代石和五郎武田信光が、承久年間(1219年-1222年)に鶴岡八幡宮の分霊を石和の館に勧請し、武田家の氏神として国衙八幡宮(現 石和八幡宮)として奉斎したのに始まる。
永正16年(1519年)、武田信虎が躑躅ヶ崎館を築城する際、今の甲府市峯本の地(現 古八幡神社)に遷座し、武田晴信(武田信玄)の時に甲斐国内の惣社(総社)、府中八幡と位置付けた。
それまでの甲斐国総社は甲斐奈神社で、現在は笛吹市春日居町(甲斐国四宮)と、笛吹市一宮町に論社がある。また、国府・国分寺の守護神としての国府八幡宮は大井俣窪八幡神社だったが、当社がこれに代わった。
永禄3年(1560年)、信玄は『社中条目写』により、甲斐国九筋164社の神主に対して、二日二夜ずつ二人交替で当社に詰めて参籠し、国家安泰を祈願するよう命じられた。
これを免除されたのは甲斐国内でも一宮・浅間神社、二宮・美和神社、武田家氏神の武田八幡宮、甲府の鬼門である菅田天神社などわずか10社で、これはこれで社格のようにもなった。
武田氏滅亡後、徳川氏が入国して社参し、社殿の造営を命じ、整備が進む。浅野長政が甲府城を築城する際、文禄4年(1596年)に現在地へ奉遷、府城の鎮守祈願所としての地位を確立した。
明治維新以降、第一号の県社に列せられる。例祭は9月15日、または直前の日曜日。
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