御室山への信仰守る甲斐国三宮の古社、「御幸さん」渡御の一社
玉諸神社(山梨県甲府市国玉町1331)
[住所]山梨県甲府市国玉町1331
[電話]055-237-5702 - 甲府市観光開発課

玉諸神社(たまもろじんじゃ)は、山梨県甲府市国玉町にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 甲斐国 山梨郡「玉諸神社」に比定される式内社(小社)の論社。甲斐国三宮で、近代社格では県社

御祭神は國魂大神命。ただし、『甲斐国志』では御祭神を大己貴命としている。また、当社は国玉社とも呼ばれる。例祭は4月15日前後の日曜日。

社伝では、もとは酒折宮北方の御室山山上に祀られていたとされる。その後、日本武尊が東征の帰路において水害防止として現在地に珠を埋め、その上に杉を植え依り代として国玉大神を祀った。

すると洪水は鎮まったことから、のちに社が築かれたとされる。また、この杉は「玉室杉」と呼ばれたことから「玉諸」の名が起こったとされる。また、周辺の国玉(くだま)の地名は当社に由来している。

当社北方の御室山麓に拝殿跡とされる場所があり、拝殿跡が御室山遥拝所の性格を有すること、当社現在地から御室山が望めることから、御室山への祭祀と関わりが深い。

山頂には山宮が設けられ、かつては神幸が行われていたと伝わる。

春の御幸祭(御幸さん、おみゆきさん)では信玄堤上の竜王三社神社・石田三社神社まで一宮(笛吹市の浅間神社)・二宮(笛吹市の美和神社)とともに渡御する川除祭(水防祭)が古くから行われている。

遅くとも戦国時代の永禄年間(1558年-1570年)からは始まっている神事で、現在は竜王三社神社のみ。

御幸祭では「ボンボコサン」と呼ばれる神馬が担ぎ出される。これは鞍の上に梵天を立てたもので、江戸時代の宝暦9年(1759年)作成の三宅済美筆『御幸祭絵図』においても描かれている。

また、大正期(1912年-1926年)には若尾謹之助が「御祭礼及縁日」において記録している。

中世には武田氏から崇敬を受け、社殿も造営されたと伝えられるが、天正10年(1582年)の武田氏滅亡時に兵火で焼失した。

その後徳川氏が当地を治めるにあたって保護を受け、江戸時代には朱印61石が安堵された。近代に入り、大正11年(1922年)、県社に列した。

なお、式内社「玉諸神社」の論社には他に、同名の神社が甲州市にある

【ご利益】
地域・家内安全、洪水除け、縁結び
玉諸神社(甲府市) - 御室山への信仰守る甲斐国三宮の古社、「御幸さん」渡御の一社
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玉諸神社(甲府市)の御朱印