名神大社「赤城神社」論社三社は赤城山を駆け上るが如く一直線に鎮座する
赤城神社 - 名神大社「赤城神社」論社三社は赤城山を駆け上るが如く一直線に鎮座する
赤城神社(あかぎじんじゃ)は、「赤城」を社名とする神社。群馬県の、榛名山、妙義山とともに上毛三山の一つである赤城山を祀る神社である。山頂にあるカルデラ湖の大沼・小沼や、火口丘の地蔵岳、そして赤城山そのものに対する山岳信仰に由来する。

全国には関東地方を中心にして約300社の赤城神社があるといわれ、その中でも特に山腹の三夜沢赤城神社または山頂の大洞赤城神社が総本宮とされる。

延喜式神名帳名神大社「赤城神社(上野国・勢多郡)」の論社には、さらに二宮赤城神社がある。

三社が名神大社及び上野国二宮の論社とされ、中世から近世にかけて、時には争うこともあったという。

しかし、近代になってから、それぞれ郷社や県社に列格されながら、三社共同で、名神大社「赤城神社」として国幣中社昇格を目指し、あと一歩、というところで、終戦を迎え、近代社格制度が消滅した。

赤城神として、六国史には神階記事として、『続日本後紀』承和6年(839年)に従五位下、『日本三代実録』貞観9年-16年(867年-874年)に昇叙し、元慶4年(880年)に従四位上に叙せられた記録が残る。

さらに『上野国交替実録帳』(九条家本延喜式裏文書)によれば、長元年間(11世紀)に正一位としてみえる。また、歴史書には赤城山の神は「赤城大明神」として記されている。

創祀順などではなく、少なくとも中世初期ぐらいまでは、律令体制下の国司らの崇敬などがあり、里宮であろう二宮赤城神社が最も強盛だったと思われる。

それは社名にも表れており、二宮赤城神社が上野国二宮で、かつおそらくは式内名神大社だと思われる。

しかしその後、律令体制が崩れ、武家優位の時代が続き、また修験道の興隆もあり、里宮の重要性が低下。二宮赤城神社は戦国期には一度衰亡する。

大洞や三夜沢が、名実ともに「赤城神社」を代表するようになったのは、この頃からだと思われる。

それぞれの時期に、分霊の勧請が各社で行われてきていたようで、赤城神社300社といわれる基盤ができる。有名なのは東京都新宿区にある赤城神社で、江戸期の勧請。都内有数のパワースポットとして知られる。

現在、この三社は綺麗に一直線に、赤城山を駆け上るかのごとく鎮座している。

山頂 赤城神社(大洞)

赤城神社(大洞) - 赤城山山頂に鎮座する沼を女神に神格化した赤城神社総本社の一社
[説明]沼を女神に神格化した赤城姫
[社格]郷社
[住所]前橋市富士見町赤城山4-2
[電話]027-287-8202

山腹 赤城神社(三夜沢町)

赤城神社(三夜沢町) - 総本社、磐座「櫃石」や俵杉・ブナ、慶長年間の整備の参道
[説明]磐座「櫃石」や俵杉・ブナ、近世参道
[社格]県社
[住所]前橋市三夜沢町114
[電話]027-283-1268

山麓 二宮赤城神社

二宮赤城神社 - 赤城神社の中で唯一「二宮」を称する古社、上野・群馬の赤城山麓に鎮座
[説明]唯一「二宮」を称する、戦国期に衰亡
[社格]郷社
[住所]前橋市二之宮町886
[電話]027-268-0276

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