総本社、磐座「櫃石」や俵杉・ブナ、慶長年間の整備の参道
[住所]群馬県前橋市三夜沢町114
[電話]027-283-1268
赤城神社(あかぎじんじゃ)は、群馬県前橋市三夜沢町にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。俵杉などをあしらったオリジナルの御朱印帳がある。
『延喜式』巻9・10神名帳 東山道神 上野国 勢多郡「赤城神社」に比定される式内社(名神大社)の論社で、上野国二宮とされる。近代社格では県社。
赤城神社の総本社と推測される一社で、榛名山・妙義山とともに上毛三山の一つである赤城山の山腹に鎮座し、赤城山を神体山とする。
御祭神は赤城神で、豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)、大己貴尊(おおなむちのみこと)。
創建は不詳。当社の由緒によれば、上代に豊城入彦命が上毛野国を支配することになった際、大己貴命を奉じたのに始まるとされる。
当社から約1.3キロ登った地には「櫃石」と呼ばれる磐座を中心とした祭祀跡が残っており、国の重要文化財に指定されている硬玉製勾玉などが見つかるなど、古代祭祀の様子がうかがわれる。
『続日本後紀』では承和6年(839年)に従五位下、『日本三代実録』では貞観9年-16年(867年-874年)に神位昇叙、元慶4年(880年)に従四位上に叙せられた記事が載る。
長元9年(1028年)頃には正一位に叙せられたとされる。その後、中世には上野国二宮となったという。
ただしこれらに記述される赤城神を指す神社には論社があり、当社のことなのか、あるいは大洞赤城神社(赤城山山頂)、二宮赤城神社(赤城山山麓)、横室赤城神社などのことか異説がある。
14世紀の説話集『神道集』には、赤城山火口湖の小沼と大沼、そして中央火口丘の地蔵岳を神格化している。
『年代記』によれば、西宮(「元三夜沢」=二宮赤城神社の山宮?)に虚空蔵と千手観音を祀り、東宮(当社の源流か?)に地蔵を祀っていたという。
天正4年(1576年)、二宮赤城神社が南方氏(北条一門)によって破却されるなどを経て、付近で当社に匹敵する神社がなくなり、赤城神の本社として徐々に定着したと見られている。
慶長17年(1612年)2月20日、大前田村(現 前橋市大前田町)の住人の寄進により参道に松並木が植えられた。宝暦12年(1762年)、東宮が正一位に叙され、次いで明和2年(1765年)、西宮も正一位に叙された。
境内から南に450メートルほど下った地に惣門がある。江戸時代(年代不明)の造営とされる高麗門で、『赤城神社年代記』には宝暦元年(1751年)の造営の記載がある。
寛政12年(1800年)、大洞赤城神社が「本宮」「本社」の名称を使用しているとして、当社は大洞赤城神社別当・寿延寺に対し訴訟を起こした。
訴訟は長期にわたり、文言使用を合議で決めるという和議が成ったのは文化13年(1816年)であった。
明治2年(1869年)、廃仏毀釈により、東宮の竜赤寺と西宮の神光寺という二つの神宮寺が廃寺となった。その後、東西二宮であった当社は合併して正式に一つの宮となった。
西宮跡には建築物は建てられず、東宮跡に現社殿(現存するのは本殿と中門)を建築。
日本海軍の空母「赤城」の艦内神社に分祀。第二次世界大戦中に活躍した日本海軍の艦艇を擬人化したキャラクタである艦娘(かんむす)を強化・育成、正体不明の敵艦を撃破していくゲーム・アニメ『艦これ』ゆかり。
初め郷社で後に県社に昇格した。昭和10年(1935年)に国幣社への昇格運動が起こり、昭和19年(1944年)には国幣中社の内示が出た。
しかし、その手続中に終戦を迎え、GHQの指令により社格制度が廃止されたことで、結局県社のままであった。
「俵杉(たわらスギ)」は、中門南側とその西隣に立つ三本のスギの大木の名称。本殿前の二本は左右一対で並ぶ。
藤原秀郷(俵藤太)が平将門について上野国府に向かう途中、献木として植えたと伝えられる。県の天然記念物。
また「神代文字碑」として漢字が伝わる以前に存在したといわれる神代文字(じんだいもじ)の碑が残る。
そのほか、境内東方約200メートル、櫃石への道の途中に所在する市の天然記念物「三夜澤のブナ」や市指定重要文化財の宝塔(赤城塔)がある。
例祭は5月5日。御神幸が4月初辰日と12月初辰日に行われる。二宮赤城神社から当社への神輿渡御が行われる。
1月1日、1月5日、5月5日に13座が奉納される三夜沢赤城神社太々神楽が市の無形民俗文化財に指定されている。
当社旧社家の真隅田家には『上野国神名帳』のいわゆる「群書類従本」が伝わる。『上野国神名帳』には他に、総社神社(前橋市)が所蔵(御神体)する「総社本」と、一之宮貫前神社に伝わる「一宮本」がある。
なお、当社は進藤彦興『詩でたどる日本神社百選』に掲載されている。
【ご利益】
地域・家内の発展・平穏、縁結び
【関連記事】
・赤城神社 - 名神大社「赤城神社」論社三社は赤城山を駆け上るが如く一直線に鎮座する
・名神大社とは? - 名神祭の対象となる神々、式内社の中でも特異、その細かな特徴は?
・上毛三山に鎮座する神社 - 前橋市の赤城山・高崎市の榛名山・富岡市の妙義山にある神社
・詩でたどる日本神社百選 - 進藤彦興『詩でたどる日本神社百選』に掲載された神社
・艦内神社とは? - 「恐怖の海」への対処法 - 日本海軍の艦内神社 - 艦娘たちの守護神
・群馬県の旧県社 | 府県社とは? - 旧県社(縣社)・旧府社、その都道府県の中で有力な神社
・群馬県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、群馬県に鎮座している神社の一覧
[電話]027-283-1268
赤城神社(あかぎじんじゃ)は、群馬県前橋市三夜沢町にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。俵杉などをあしらったオリジナルの御朱印帳がある。
『延喜式』巻9・10神名帳 東山道神 上野国 勢多郡「赤城神社」に比定される式内社(名神大社)の論社で、上野国二宮とされる。近代社格では県社。
赤城神社の総本社と推測される一社で、榛名山・妙義山とともに上毛三山の一つである赤城山の山腹に鎮座し、赤城山を神体山とする。
御祭神は赤城神で、豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)、大己貴尊(おおなむちのみこと)。
創建は不詳。当社の由緒によれば、上代に豊城入彦命が上毛野国を支配することになった際、大己貴命を奉じたのに始まるとされる。
当社から約1.3キロ登った地には「櫃石」と呼ばれる磐座を中心とした祭祀跡が残っており、国の重要文化財に指定されている硬玉製勾玉などが見つかるなど、古代祭祀の様子がうかがわれる。
『続日本後紀』では承和6年(839年)に従五位下、『日本三代実録』では貞観9年-16年(867年-874年)に神位昇叙、元慶4年(880年)に従四位上に叙せられた記事が載る。
長元9年(1028年)頃には正一位に叙せられたとされる。その後、中世には上野国二宮となったという。
ただしこれらに記述される赤城神を指す神社には論社があり、当社のことなのか、あるいは大洞赤城神社(赤城山山頂)、二宮赤城神社(赤城山山麓)、横室赤城神社などのことか異説がある。
14世紀の説話集『神道集』には、赤城山火口湖の小沼と大沼、そして中央火口丘の地蔵岳を神格化している。
『年代記』によれば、西宮(「元三夜沢」=二宮赤城神社の山宮?)に虚空蔵と千手観音を祀り、東宮(当社の源流か?)に地蔵を祀っていたという。
天正4年(1576年)、二宮赤城神社が南方氏(北条一門)によって破却されるなどを経て、付近で当社に匹敵する神社がなくなり、赤城神の本社として徐々に定着したと見られている。
慶長17年(1612年)2月20日、大前田村(現 前橋市大前田町)の住人の寄進により参道に松並木が植えられた。宝暦12年(1762年)、東宮が正一位に叙され、次いで明和2年(1765年)、西宮も正一位に叙された。
境内から南に450メートルほど下った地に惣門がある。江戸時代(年代不明)の造営とされる高麗門で、『赤城神社年代記』には宝暦元年(1751年)の造営の記載がある。
寛政12年(1800年)、大洞赤城神社が「本宮」「本社」の名称を使用しているとして、当社は大洞赤城神社別当・寿延寺に対し訴訟を起こした。
訴訟は長期にわたり、文言使用を合議で決めるという和議が成ったのは文化13年(1816年)であった。
明治2年(1869年)、廃仏毀釈により、東宮の竜赤寺と西宮の神光寺という二つの神宮寺が廃寺となった。その後、東西二宮であった当社は合併して正式に一つの宮となった。
西宮跡には建築物は建てられず、東宮跡に現社殿(現存するのは本殿と中門)を建築。
日本海軍の空母「赤城」の艦内神社に分祀。第二次世界大戦中に活躍した日本海軍の艦艇を擬人化したキャラクタである艦娘(かんむす)を強化・育成、正体不明の敵艦を撃破していくゲーム・アニメ『艦これ』ゆかり。
初め郷社で後に県社に昇格した。昭和10年(1935年)に国幣社への昇格運動が起こり、昭和19年(1944年)には国幣中社の内示が出た。
しかし、その手続中に終戦を迎え、GHQの指令により社格制度が廃止されたことで、結局県社のままであった。
「俵杉(たわらスギ)」は、中門南側とその西隣に立つ三本のスギの大木の名称。本殿前の二本は左右一対で並ぶ。
藤原秀郷(俵藤太)が平将門について上野国府に向かう途中、献木として植えたと伝えられる。県の天然記念物。
また「神代文字碑」として漢字が伝わる以前に存在したといわれる神代文字(じんだいもじ)の碑が残る。
そのほか、境内東方約200メートル、櫃石への道の途中に所在する市の天然記念物「三夜澤のブナ」や市指定重要文化財の宝塔(赤城塔)がある。
例祭は5月5日。御神幸が4月初辰日と12月初辰日に行われる。二宮赤城神社から当社への神輿渡御が行われる。
1月1日、1月5日、5月5日に13座が奉納される三夜沢赤城神社太々神楽が市の無形民俗文化財に指定されている。
当社旧社家の真隅田家には『上野国神名帳』のいわゆる「群書類従本」が伝わる。『上野国神名帳』には他に、総社神社(前橋市)が所蔵(御神体)する「総社本」と、一之宮貫前神社に伝わる「一宮本」がある。
なお、当社は進藤彦興『詩でたどる日本神社百選』に掲載されている。
【ご利益】
地域・家内の発展・平穏、縁結び
【関連記事】
・赤城神社 - 名神大社「赤城神社」論社三社は赤城山を駆け上るが如く一直線に鎮座する
・名神大社とは? - 名神祭の対象となる神々、式内社の中でも特異、その細かな特徴は?
・上毛三山に鎮座する神社 - 前橋市の赤城山・高崎市の榛名山・富岡市の妙義山にある神社
・詩でたどる日本神社百選 - 進藤彦興『詩でたどる日本神社百選』に掲載された神社
・艦内神社とは? - 「恐怖の海」への対処法 - 日本海軍の艦内神社 - 艦娘たちの守護神
・群馬県の旧県社 | 府県社とは? - 旧県社(縣社)・旧府社、その都道府県の中で有力な神社
・群馬県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、群馬県に鎮座している神社の一覧
コメント