上野国七宮、医療神祀る、三島塚古墳や上野三碑がある古くからの祭祀の場
小祝神社(群馬県高崎市石原町1247番地)
[住所]群馬県高崎市石原町1247番地
[電話]027-323-1789

小祝神社(おぼりじんじゃ)は、群馬県高崎市石原町にある神社。江戸時代の旧称は「小祝大明神」。参拝すれば、御朱印を頂ける。

延喜式』巻9・10神名帳 東山道神 上野国 片岡郡「小祝神社(オハフリ)」に比定される式内社(小社)。上野国七宮で、近代社格では郷社。

御祭神は医療神である少彦名命(すくなひこなのみこと)。享保2年(1717年)の文書では御神体を石とする。『式内社調査報告』では少彦名命のほか21柱があるとする。

創建は不詳。付近には三島塚古墳(4世紀末から5世紀初頭の円墳)があるほか、境内から縄文時代前期の土器片が出土したことから、古くより当地に鎮座したものと推測される。

当社の奉斎氏族は明らかでない。『上野国神名帳』には群馬西郡に「息災寺小祝明神」の記載があるが、この「息災寺」は上野国府近くの引間妙見寺(高崎市引間町)に比定される。

このことから小祝神の奉斎氏族は国府官人になったと見られ、先の「息災寺小祝明神」は、国府近くに建立された息災寺に氏神として当社から勧請されたものと推測される。

国史では、「小祝神」の神階が元慶4年(880年)に正五位下から正五位上勳十二等に昇叙された旨の記載が見える。

『上野国神名帳』においては、総社本(総社神社所蔵・御神体)では鎮守十社の7番目に「正一位小祝大明神」と見える。

また、一宮本(一之宮貫前神社所蔵)では鎮守十社の4番目、群書類従本(三夜沢赤城神社旧社家伝来)では6番目にそれぞれ「従一位小祝大明神」と記されている。

南北朝時代成立の『神道集』では、「上野国九箇所大明神事」に「七宮ハ沢宮、小視ト申ス、本地ハ文殊也」(小視は小祝の誤記か)とあることから、当社は上野国の七宮に列したとされる。

江戸時代には、正徳6年(1716年)の宗源宣旨で正一位を授けられた。近世の別当は石昌寺で、現在も隣接。

明治5年(1872年)には郷社に列し、明治42年(1909年)には神饌幣帛料供進社に指定された。

現在の社殿は本殿・幣殿・拝殿からなり、これらが一体となった形式である。ただし、幣殿・拝殿は本殿よりも後の造営になる。

文書・奉納額によると、本殿は江戸時代の正徳3年(1713年)に造替が企画され、享保2年(1717年)に棟上げされた。

棟札・奉納額・寄進銘とともに高崎市指定重要文化財に指定されている。

例祭は10月19日で秋祭。大祭が4月19日で春祭。

周辺は観音山丘陵が連なり、いしぶみの道(高崎市自然遊歩道)が整備されている。

吉井町の多胡碑とともに上野三碑と呼ばれ、国の特別史跡に指定されている山ノ上碑と金井沢碑が残っているほか、中世の山名城跡、根小屋城跡などが知られる。

【ご利益】
安産の神、無病息災、医薬の神(公式HP
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