上野国三宮の元宮である上野国五宮、上野国九宮の中で唯一の式外社
[住所]群馬県渋川市有馬1549
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若伊香保神社(わかいかほじんじゃ)は、群馬県渋川市有馬にある神社。上野国五宮で、近代社格では村社。御祭神は大名牟遅神少彦名神御朱印の有無は不明(おそらくは授与されない)。

創建は不詳。伊香保神社(渋川市伊香保町伊香保、上野国三宮)と同一神名を有することから、伊香保神社と同じく豪族の有馬氏(阿利真公)により奉斎されたと見られている。

また、伊香保神社は元々当地に鎮座したと推測する説もあり、伊香保神社が上野国国府近くの三宮神社(北群馬郡吉岡町大久保)に遷座した際、旧社地に祀られたのが当社になるともいわれる。当社は伊香保神社の元宮となる。

現在の境内は泰叟寺に隣接しているが、元々は上有馬に鎮座したといい、享禄元年(1528年)の洪水のため、現在地に移転したと伝わる。なお、一説に遷座は永享9年(1437年)とも。

国史では、「若伊賀保神」の神階が貞観5年(863年)に従五位下、元慶3年(879年)に従五位上、元慶4年(880年)に正五位上に昇叙された旨の記載が見える。しかし『延喜式』神名帳には記載がないため、いわゆる国史見在社にあたる。

長元3年(1030年)頃の『上野国交替実録帳』では、「正□位 若伊香保社」(位は脱字)と記されるとともに玉殿1宇・幣殿1宇・鳥居2基・向屋1宇・美豆垣1廻・荒垣1廻・舞人陪従屋1宇・厨屋1宇の記載がある。

この社殿規模は、伊香保明神社(三宮)、宿禰明神社(四宮:甲波宿禰神社)、椿榛明神社(六宮:榛名神社)と同等のものになる。

また『上野国神名帳』では、総社本(総社神社所蔵・御神体)において鎮守十社のうちに「正一位若伊賀保大明神」と見えるほか、一宮本(一之宮貫前神社所蔵)・群書類従本(三夜沢赤城神社旧社家伝来)において群馬東郡または群馬郡のうちに「従四位上 若伊賀保(若伊香保)大明神」と記されている。

南北朝時代成立の『神道集』では、「上野国九ヶ所大明神事」や「上野国第三宮伊香保大明神事」に若伊香保神社の記述が見えるが、その中で当社は上野国の五宮であるとされている。上野国九宮までのうち、当社は唯一の式外社になる。

明治に入り、近代社格制度では村社に列した。現在は泰叟寺に隣接して小祠を残すのみとなっている。

例祭は4月12日、10月9日。

なお、上野国五宮については、大國神社を指す場合もあるが、大國神社は丹波道主王命の5人の娘が勧請・合祀されたことで「第五姫宮」と呼ばれるために、「五宮」の通称が定着したものと考えられ、上野国五宮はやはり当社が妥当。

【ご利益】
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若伊香保神社 - 上野国三宮の元宮である上野国五宮、上野国九宮の中で唯一の式外社
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