小野金善が川島から勧請した宿祢大明神、大ケヤキやコナラなど
甲波宿禰神社(群馬県吾妻郡東吾妻町箱島1136)
[住所]群馬県吾妻郡東吾妻町箱島1136
[電話]0279-59-3111

甲波宿禰神社(かわすくねじんじゃ、甲波宿祢神社)は、群馬県吾妻郡東吾妻町箱島にある神社。箱島甲波宿禰神社などとも。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 東山道神 上野国 群馬郡「甲波宿禰神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。

奈良時代の宝亀2年(771年)、上野十二社の一つ川島の甲波宿禰神社が創建された。

当社はそれより後、延暦4年(785年)、早良親王の謀反に組したためこの地に流された小野金善が川島から勧請したと伝わる。

金善は、この地が至る所から多くの清水が湧くのを神々の御神徳と考え、村人に永久福利をもたらすことを願って、村の中央に廟を建てたという。近辺には、「金善の清水」「金善の井」が今に伝わる。

ちなみに金善は、この後、坂上田村麻呂の蝦夷討伐に参加して功績が認められ、赦されて一旦は帰京。

しかし、また、この地周辺に移住し、その後また京に戻ったと伝えられている。渋川市小野子の七社神社にも関連伝承が残る。

当社について、御祭神は川島と同様、速秋津彦神速秋津姫神

中世には、白井城主長尾氏の崇敬が厚く、長尾景春(1443年-1514年)が神宝として太刀一振を献上し、社殿の修築を行ったと伝わる。別当寺は万福寺。

表鳥居に享保十九年宿祢大明神とあり、現社殿もその当時(享保19年=1734年)のもの。拝殿の石立端柱の獅子十二頭・屋根下の鶴・鴨居の龍の彫刻格天井に画かれた狩野派の絵画などがある。

表鳥居にあるように、古昔は正一位宿祢大明神と言われたが、明治元年(1868年)に現社号に改称した。しかし、その前後に起きた社務所の火災で古記録はすべて焼失している。

宝物として、神鏡・太刀・神輿がある。神輿は天正3年(1575年)作と伝えられる。境内には町指定天然記念物の大ケヤキや名木十選に選ばれているコナラなどの御神木がある。

例祭は3月15日、9月29日。

この地域には、式内社「甲波宿禰神社」の論社が複数存在し、そのうち、二社が当社と同一社号、当社の本宮である渋川市川島と、渋川市行幸田に甲波宿禰神社がある。

また、武内宿禰(ここでは珍しく『古事記』表記の建内宿禰が使われる)を祀る渋川市祖母島の武内神社も論社。

ただし、現在は当社自身、川島が「延喜式上野十二社」と認めており、通常、勧請元と勧請先であれば、『延喜式』前に極端に衰微していたなど、よほどの事情がない限り、式内には勧請元、つまり川島が入る可能性が高いと思われる。

行幸田を除く、当社を含めた三社は、吾妻川に沿ってほぼ等間隔(およそ2.1キロ-2.2キロごと)に鎮座しており、宗像大社丹生川上神社などのような三社構成(場合によって、一つの神社)だった可能性も指摘されている。

【ご利益】
水、飲み水・生活水、身体壮健など
甲波宿禰神社(箱島) - 小野金善が川島から勧請した宿祢大明神、大ケヤキやコナラなど
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