伊香保温泉、往古は伊香保神の祭祀中心・上野国三宮として繁栄
三宮神社(群馬県北群馬郡吉岡町大久保1番地)
[住所]群馬県北群馬郡吉岡町大久保1番地
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三宮神社(吉岡町)(さんのみやじんじゃ)は、群馬県北群馬郡吉岡町にある神社。伊香保温泉街の一角にあり、伊香保神社(湯前神、渋川市伊香保町伊香保)の里宮とされる。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 東山道神 上野国 群馬郡「伊加保神社」に比定される式内社(名神大社)の論社。上野国三宮。

創建は奈良時代、天平勝宝2年(750年)の勧請と伝える。御祭神は、彦火火出見命豊玉姫命少彦名命。御神体は一木彫の十一面観音像(室町時代作、像長90センチ)。

「伊香保」は、噴火の激しい榛名山を「厳つ峰(いかつほ)」と称したことによるとされる。

山宮の鎮座地は噴火に伴う堆積層のため耕作には不向きで、6世紀中葉頃の最後の噴火後数百年を経て湧出した温泉で発展した地。

そのため、温泉湧出以前は里宮の当社が祭祀中心地であったと見られる。上野国における類例として、二宮赤城神社(里宮、前橋市二之宮町)と三夜沢赤城神社(山宮、前橋市三夜沢町)の関係がある。

当社の鎮座地は『和名抄』に見える上野国群馬郡有馬郷に比定されることから、奉斎氏族は古代氏族の有馬氏であったとされる。

『新撰姓氏録』右京皇別 垂水公条では豊城入彦命(上毛野氏祖)の子孫として「阿利真公」の人物名が見え、上毛野氏の一族と推測されている。当地周辺では、一族のものと推測される多くの古墳がある。

国史では、「伊賀保社」は承和2年(835年)に名神に列した。

「伊賀保神」の神階は承和6年(839年)に従五位下、そこから順次上がり、元慶4年(880年)には従四位上となり、上野国において、貫前神に準じ、赤城神と同格になる。

長元3年(1030年)頃の『上野国交替実録帳』では、「正一位伊賀保明神社」の項に玉殿1宇・幣殿1宇・鳥居2基・向屋1宇・美豆垣1廻・荒垣1廻・舞人陪従屋1宇・厨屋1宇と記載される。

一之宮貫前神社や二宮赤城神社と比べ、小規模であり、この頃衰微が始まった、との指摘がある。

『上野国神名帳』では、いずれも鎮守十社のうちで、「正一位伊賀保大明神」「正一位伊香保大明神」として、総社本と群書類従本では3番目に、一宮本では2番目に記されている。

関連神名として「若伊賀保神」「伊賀保若御子明神」「伊賀保木戸明神」がある。

近世以降は衰微し、詳細は明らかでない。対して山宮は伊香保温泉とともに発展し、近世まで「湯前大明神」と称していた。

明治6年(1873年)に伊香保神社と改称。現在では、里宮・山宮の間に祭祀関係はない。

本殿は江戸時代の嘉永元年(1848年)の改築。総欅造りで、屋根は銅板葺。その他の社殿も明治以降の増改築になる。

溝祭三宮神社獅子舞や、榛東村広馬場の聖宮神社から伝承されたという三宮神社太々神楽三楽講が町の重要無形文化財に指定されている。

【ご利益】
夫婦和合、子孫繁栄、病気平癒など
三宮神社(吉岡町) - 伊香保温泉、往古は伊香保神の祭祀中心・上野国三宮として繁栄
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