奈良末期の創建、坂上田村麻呂ゆかりの由比のお太鼓祭が伝わる駿河国二宮
[住所]静岡県静岡市清水区由比町屋原185
[電話]-
豊積神社(とよづみじんじゃ)は、静岡県静岡市清水区にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「豊積神社(駿河国・廬原郡)」に比定される式内社(小社)の論社。駿河国二宮で、近代社格では郷社。
社伝では、奈良時代末期、延暦10年(791年)に倉稲魂命を祀り、創建したという。
また坂上田村麻呂は東征の途中で戦勝を祈願、そして帰途に戦勝祝いとして神楽を奉納したといい、お太鼓祭(由比のお太鼓祭として県指定無形民俗文化財)の起源はその神楽にあるという。
浅間信仰の広まりを受けて、御祭神を木之花佐久夜毘売命(このはなさくやひめのみこと)とし、倉稲魂命は境内の稲荷社に遷座する。
寛文年間(1661年-1673年)頃の『駿河国風土記』では、「豊積神社或止由気神社日本武尊祭之地也、国中之二宮也」と記載されており、駿河国一宮である富士山本宮浅間大社に次ぐ地位にあったと推測されている。
なお、豊由気神社も式内社「豊積神社」の論社。
江戸時代の朱印地は16石余。なお、天正17年(1589年)の文書に見えるように、近世には「浅間」とも称していた。
享保21年(1736年)の口上書では、「豊積浅間社」と称したうえで、式内社「豊積神社」の後裔と主張している。
明治維新後、明治6年(1873年)3月に郷社に列した。例祭は10月14日。
本殿は総欅造の流造で、銅板葺。棟札によれば文政8年(1825年)の造営であるというが、それ以前では慶長5年(1600年)の造営、享保17年(1732年)の造替があった。
屋根は元々檜皮葺であったが、明治22年(1889年)に銅板葺に葺き替えられた。その後、昭和28年(1953年)に大修理を経て現在に至っている。
境内にはイチョウやクスノキの大木が立っている。
境内社には、白髭神社(猿田彦神)の他、5社として、山宮神社(大山祇神)、日枝神社(大山咋命・速須佐之男命)、須賀神社(建速須佐之男命)、稲荷神社(倉稲魂命)、磯前神社(大国主命、事代主命)などがある。
【ご利益】
家庭円満、安産、子安、火難消除、航海、漁業、農業、機織等の守護神
【関連記事】
・神社の創建年代 - 神代から、神武・神功・継体、そして昭和期まで、主な神社を順に並べた
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豊積神社(とよづみじんじゃ)は、静岡県静岡市清水区にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「豊積神社(駿河国・廬原郡)」に比定される式内社(小社)の論社。駿河国二宮で、近代社格では郷社。
社伝では、奈良時代末期、延暦10年(791年)に倉稲魂命を祀り、創建したという。
また坂上田村麻呂は東征の途中で戦勝を祈願、そして帰途に戦勝祝いとして神楽を奉納したといい、お太鼓祭(由比のお太鼓祭として県指定無形民俗文化財)の起源はその神楽にあるという。
浅間信仰の広まりを受けて、御祭神を木之花佐久夜毘売命(このはなさくやひめのみこと)とし、倉稲魂命は境内の稲荷社に遷座する。
寛文年間(1661年-1673年)頃の『駿河国風土記』では、「豊積神社或止由気神社日本武尊祭之地也、国中之二宮也」と記載されており、駿河国一宮である富士山本宮浅間大社に次ぐ地位にあったと推測されている。
なお、豊由気神社も式内社「豊積神社」の論社。
江戸時代の朱印地は16石余。なお、天正17年(1589年)の文書に見えるように、近世には「浅間」とも称していた。
享保21年(1736年)の口上書では、「豊積浅間社」と称したうえで、式内社「豊積神社」の後裔と主張している。
明治維新後、明治6年(1873年)3月に郷社に列した。例祭は10月14日。
本殿は総欅造の流造で、銅板葺。棟札によれば文政8年(1825年)の造営であるというが、それ以前では慶長5年(1600年)の造営、享保17年(1732年)の造替があった。
屋根は元々檜皮葺であったが、明治22年(1889年)に銅板葺に葺き替えられた。その後、昭和28年(1953年)に大修理を経て現在に至っている。
境内にはイチョウやクスノキの大木が立っている。
境内社には、白髭神社(猿田彦神)の他、5社として、山宮神社(大山祇神)、日枝神社(大山咋命・速須佐之男命)、須賀神社(建速須佐之男命)、稲荷神社(倉稲魂命)、磯前神社(大国主命、事代主命)などがある。
【ご利益】
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