「妻」は「投馬国」? ニニギの妻サクヤを祀る、日向国二宮かつ総社の可能性
[住所]宮崎県西都市妻1
[電話]0983-43-1238

都萬神社(つまじんじゃ)は、宮崎県西都市にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。御祭神をイメージしたものか、艶やかなピンク色などのオリジナルの御朱印帳がある。

延喜式』巻9・10神名帳 西海道神 日向国 児湯郡「都万神社」に比定される式内社(小社)。日向国二宮、総社の論社。近代社格では県社

社名について、「妻万」とする説が古くからある。またその場合、読みを「つま」のほか「さいまん」とする説がある。現在も地元では、「おせんさま」という「さいまん」の転訛による呼称が残っている。

なお本居宣長以来古くから、当地の地名「妻(つま)」を『魏志倭人伝』に見える「投馬国」に比定する説がある。

御祭神は、木花開耶姫命。社名が「妻」のことであり、御祭神の木花開耶姫命が瓊瓊杵尊の妻であることによるという。一説として、御祭神は柧津比売命という説もある。どちらにしろ女神。

創建年代は不詳。当社周辺には、無戸室など木花開耶姫命と瓊々杵尊が新婚生活を送ったという伝承地が残っている。

当社近くには全国屈指の大古墳群である西都原古墳群があるほか、屯倉設置の推定地や日向国府跡もあり、日向の中心地であった。

国史の初見は、『続日本後紀』の承和4年(837年)8月1日条の下記の記事。その後、神階は天安2年(858年)に従四位下まで昇進した。
日向国子湯郡子都濃神。妻神。宮埼郡江田神。諸県郡霧島岑神。並預官社(都農神社・都萬神社・江田神社・霧島神社を官社に預かる)
日向国府は当社近くに設けられており、また「五社明神」という別称から日向国の有力社を合祀していたと見られ、当社は日向国の総社の機能を担ったとする説がある。

また、日向国一宮である都農神社に次ぐ二宮として崇敬されたとも言われる。

日向国衙の在庁職にあった日下部氏は当社の神官も務め、大きな影響を持ったが、室町時代以後の当社は伊東氏から庇護された。

中世には「妻宮」「妻万宮」「日向総廟五社大明神」などと呼ばれ、高千穂神社を管理下に収めるなど大勢力となっていた。

日向国の式内社四社の中では、実質的に最も有力な神社であった。江戸時代には領主の島津氏からの崇敬も受け、神領315石が安堵された。

明治6年(1873年)、県社に列格し、明治40年(1907年)には神饌幣帛料供進指定を受けた。

摂末社には、大山祇神社(大山津見命。当社主祭神の父)、八坂神社(須佐之男命)、霧島神社(瓊瓊杵命。当社主祭神の夫)、四所神社(当社主祭神の姉である磐長姫命ほか三柱)、稲荷神社(宇迦之御魂命)がある。

例祭は11月19日。7月7日には更衣祭という特殊神事が斎行され、御神像に着付けや化粧を施し、御祭神の入内までの様子を再現する。

小室浅間神社など、木花開耶姫命を御祭神とする神社では時々見られる祭事。

推定樹齢は1200年、高さ約40メートルのクスが、妻のクスとして、南方神社のクスノキとともに国の天然記念物に指定されている。

【ご利益】
家内安全、夫婦円満、安産
都萬神社
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都萬神社の御朱印